2011年12月18日

ホリデーを乗り切るコツ

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もうすぐクリスマスですね。この時期はのんびりしたカナダもさすがに賑やかです。クリスマスが近づいてなんだかワクワクした感じが街にあふれる一方で、クリスマスまでにあれもしなくちゃ、これもしなくちゃ、と片付ける事が山積みで忙しいというのも本音だと思います。ちなみに会社やちょっとした友達とのクリスマス・パーティーは12月の1〜2週に開かれることが多く、出かける機会がグッと増えます。そしてクリスマス当日に向けて家の飾りつけや人によっては帰省の準備。クリスマス・プレゼントだって子供用だけではなく、親、兄弟姉妹、親戚など相当な数を用意しなければなりません。そんな楽しいけれど疲れるホリデー・シーズンに向けて、癌の治療中や治療が終わったばかりの人へのアドバイスの記事を見つけたので紹介します。

@無理して出かけない
クリスマス・パーティーに招待されると、あまり気の進まない集まりでもつい出かけてしまうのはよくあることです。誘ってくれた人をガッカリさせたくない…とか、伝統行事だから…とか、顔を出すのが当然だと皆が思っているから…とか色々な理由があるでしょう。しかし行きたくなかったら行かなくてもいいのです。と口で言うほど簡単ではありませんが、「誘ってくれてありがとう。でも今回はご遠慮します。」と言う勇気を持ちましょう。体力が無いときは無理をしないのが一番です。パーティに行くとなれば、ドレスを着てお化粧をして、プレゼントを買ってラッピングをして、持参できるように2〜3手料理を拵えて…としなければならないことが沢山あるのです。当日は悪天候かもしれません。病気になったら、付き合いよりも自分を優先させることがあってもいいのです。

出席予定のパーティーの直前になって体調が悪くなった場合は、無理に出かけず相手に電話して欠席する方がベターです。相手はガッカリするかもしれませんがすぐ忘れます。自分を大事にして下さい。


A他の人にやってもらう
いつもなら自分の家でクリスマス・パーティーを開くという人も多いでしょう。しかしパーティーを開くには招待状を書くのに始まり、掃除、買い物、料理など準備に多大な労力を必要とします。素敵なパーティーにしたいというプレッシャーもあります。無理をしてはいけません。a) パーティーの主催を他の人に代わってもらう。b) どうしても自分の家で開きたいのなら準備を他の人に手伝ってもらう。c) 例年より招待客の数を減らしてこじんまりしたパーティーにする。といった方法で自分の身を守りましょう。周りの人はわかってくれます。わかってくれない人がいたとしたら、その人の方に問題があるのです。

B会話をそらす
パーティーで人が集まると身体の調子を尋ねられることも少なくありません。急に自分が癌であることを意識してストレスを感じる人もいます。そんな時は思い切って「何か別の話をしませんか?」とさらっと話題を変えてみましょう。難しいかもしれませんが周りの人は理解してくれます。

C買い物は簡単にすます
クリスマスの買い物が大好きな人もいます。商店の飾りつけ、美味しそうなお菓子、サンタクロースと子供達… そういったものを見て歩くのは楽しいかもしれませんが体力を要します。人ごみの中で買い物するのは辛いがクリスマス・プレゼントは用意したい、という場合は商品券を選んだらどうでしょう。最近は、レストラン、映画館、ホームセンター等ありとあらゆる種類の商品券をスーパーで手軽に買うことができ、貰った側も重宝します。商品券では物足りないのであればインターネット上で様々なギフトを購入することができます。きちんとした業者を利用すれば安全ですし、ラッピングをして送りたい人の住所に届けてくれるサービス付きです。

D食事には気をつける
ホリデー・シーズンにはものすごい量のご馳走が食卓に並びます。その大部分は身体に良くない食べ物です。健康な人なら「一年に一度だからいいや」と食べてしまいますが、病や治療で胃腸が弱っている場合は節度を守って食べないと後で苦しい思いをするばかりです。

↑この点については私からも補足します。欧米の人も最近は大分食事に気をつけるようになってきました。また経済的な面からも毎日ステーキなんか食べていたらエンゲル係数が高くなりすぎてて家計を圧迫します。だから肉、特に赤い肉(牛、豚、羊)はあまり食べない人が増えています。しかしホリデー・シーズンになると話が別なようです。この人たちはやっぱり肉食なんだなぁと実感するようなメニューに出くわします。例えば食前のつまみに生ハムやらサラミやらが出てくることがよくあるのですが、それがすき焼きのお肉(大盛り)くらいの量なのです。(そもそも加工肉は身体に一番悪いんじゃなかったかしら???)それを全部平らげたあとにメインの料理がまた肉の塊。甘いものだってオンパレードです。ケーキ、アイスクリーム、チョコレート、クッキー、キャンディー… 日本の上品なクリスマス・ケーキとは比較にならない砂糖の量です。見ているだけで歯が痛くなりそうです。

でも身体に悪そうな料理を美味しそうにムシャムシャ食べてる周りの人が健康で、サラダをつついている私が癌になったということから考えても、「肉食=癌になる」という法則はあまり当てにならないようです。ま、それだけ人間の体は複雑に出来ているということなのかもしれません。

日本も年末年始は忘年会、新年会などイベントが多いですよね。買い物に出かけると気晴らしになるし、家族や親しい友人とわいわい囲む食卓は普段より食欲をそそるのも事実です。癌になったからってソファで休んでばかりはいられません。でも健康な人と全く同じではないことも忘れない方がいいのでしょう。付き合いや義理立てはほどほどにして無理はしない。体調がすぐれない日はお休みする。手の抜き方を覚える。言い換えると、自分の身体を労わりながら社会生活を楽しむ方法を見つけるということだと思います。

それでは皆さん、楽しいクリスマスをお過ごし下さい!

(最後に全く関係ないですがクリスマス・ソングをひとつ。「Have Yourself a Merry Little Christmas 」です。オリジナルのJudy Garlandもいいですが私はこのColdplayのバージョンが大好きです。)



(ビデオの画像は元々静止画です。音声のみお楽しみ下さい。)
posted by leo at 17:09| Comment(7) | 日々の生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月23日

ROMAの休日

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久々にブログでも更新しようかな〜と思い立って戻ってきました〜!(なんかもう戻ってくるのが恥ずかしいほど放置してあったんですが…汗)もっと久々に卵巣がんについて書いてみようかと思い乏しい資料を見渡しましたが、特にワクワクするような目新しい治療法のニュースもありません。(ガクッ)そこで検査方法についてでもウンチクをたれようかと企んでます。ちょっとだけ進歩があったみたいです。

卵巣がんの血液検査と言えばCA125。卵巣がんの人でその存在を知らぬ者は少ないと思います。CA125の数値が指標としてどれだけ頼りになるかについては状況によって異なりますし、ドクターによっても意見の相違があるようです。一般的に患者さんはドクター以上にCA125値にこだわっている方が多いという印象がありますが、どれだけ気にするかには個人差があるでしょう。

素人の私が言うのもなんですが、癌が非常に進行した状態(お腹いっぱいに広がっているとか…)では多少感度の悪い人でもCA125は大幅上昇するようですね。大幅上昇というのは少なくとも3桁、人によっては4桁の値のことです。で、癌がそうやって大暴れしている状態で化学療法を受け、よく効けばド〜ンと値が下がるし、ちょっとだけ効けば値が横ばい状態。全然効かなければ値がさらに上昇でその抗がん剤は打ち切り。と、画像検査と併用しながらCA125が治療効果測定の目安として活躍しているのは確かです。

しかし3〜4cmの大人しい腫瘍がポツンと一個あったくらいではCA125値が上昇しないことも往々にしてあるようです。一説によると初期卵巣がんの40〜50%はCA125値の上昇を伴わないとか。また20%くらいの人は初期でなくてもそんなに上昇しないとか。さらに再発で、CA125値が上昇してから画像で癌が確認される台本に沿った進行をする人もいれば、その逆でCT検査で先に小粒が見つかり後からCA125値が上がる人だっています。心当たりのある方、CA125が再発発見に導いてくれなかったのは貴方一人ではないのでガッカリしないで下さい。

ともあれ、CA125の一番の問題点は偽陽性が多いことです。単なる卵巣のう腫や子宮内膜症でも数値は上昇します。それどころか生理、妊娠、出産後、肝硬変、心不全等、様々な理由で数値が上がることがあるそうです。そのため既に卵巣がんと診断された人の経過観察には重宝でも一般の人向けのスクリーニングには適しません。では、腫瘍らしきものがあると画像で確認されたものの良性か悪性かわからないというケースはどうでしょうか?

良性か悪性かの判断が手術前につけば、悪性→婦人科の癌の専門家である婦人科腫瘍医(Gynecologic Oncologist)、良性→普通の婦人科医か外科医と効率的に振り分けることができます。執刀医が婦人科腫瘍医の方が卵巣がんの予後がいいことは複数の研究によって示されています。かと言って、全ての婦人科腫瘍(良性の方が圧倒的に多い)の手術を婦人科腫瘍医が行うことは数的に不可能なのです。婦人科腫瘍医なんて私の住む地域には一人もいません!という場合でも、手術前に癌の疑いが濃いことがわかっていれば出来るだけ経験豊富なお医者様に執刀をお願いすることはできます。逆に良性腫瘍の人の「もしも癌だったら」という心配は軽減できるかもしれません。現状では、CA125と画像、腹水の有無、閉経前か後か、家族の乳がん/卵巣がん歴など複数のファクターを総合して良性/悪性の見極めが試みられていますが、悲しいかなCA125の精度の低さが足を引っぱっているようです。

そんな中、腫瘍が良性か悪性かを調べる新しい血液検査ツールが開発されつつあります。OVA1はその一つ。CA125、beta-2 microglobulin、transferrin、apolipoprotein A1、transthyretinの計5種類の血液中タンパクの量やバランスを調べコンピューターで解析してスコアを出します。閉経前の人はスコアが5.0以上、閉経後の人はスコアが4.4以上だと悪性の可能性が高いとされています。販売元の会社(Vermillion)によると、従来の方法で癌かどうかの正しい判断が下せるのは72〜80%。臨床試験の結果、従来の方法にOVA1テストを加えると数字が92%に向上したと豪語しています。2009年9月にFDA(米国食品医薬品局)の認可がおりました。ただ宣伝しているほどの効果がないのか、はたまたお値段が高すぎるからなのか余り広まっていないようです。

もう一つはROMA(Risk of Ovarian Malignancy Algorithm)テストです。こちらはCA125とHE4という2つの腫瘍マーカーを組み合わせて分析します。(販売元はFujirebio Diagnosticsです。)HE4は米国で数年前に承認された比較的新しい卵巣がんの腫瘍マーカーです。2008年のASCOで発表された研究結果によると、経過観察中の卵巣がん患者において病気の進行と平行してCA125の上昇が見られたのが78.8%。同様にHE4の上昇が見られたのが76.2%。と感度はいい勝負。CA125に反応しない人でHE4に反応したのは23.5%。HE4に反応しない人でCA125に反応したのは31.6%なので…一応相互で補えるのかな?寛解中や治療下にある癌の動向を探るという目的では、CA125だけで調べるより若干の改善、まあCA125の感度が低い人には朗報…という程度かもしれません。

しかしHE4の真価は、悪性と良性腫瘍の識別においてCA125よりも偽陽性が少ない点なのです。つまり手術前の癌かどうかの読みにはCA125よりも役立つ可能性有りということ。そこで上記の、2つのマーカーを組み合わせる手法が登場しました。CA125とHE4、両方の値からコンピューターのプログラムによって腫瘍の悪性リスクを数値化し高低に分類するというテクノロジーです。98%のspecificity (陰性の人が正しく陰性と判断された%)まで精度を絞るとCA125が正しく上昇したのは23.9%なの対し、HE4の上昇は64.2%、ROMAテストの解析結果は71.6%…と悪性見極め率がかなり上がったと研究結果が発表されています。前述のOVA1と比較すると強みは手軽さです。従来のCA125に検査を一つ加えるだけなので手間も費用もOVA1ほどかからず、将来もっと普及するのでは期待されています。

とは言え、ついに卵巣がんにもスクリーニング登場か!と騒ぐのは気が早すぎるようです。OVA1にしてもROMAにしても対象は手術を予定している患者さん。何かできているんだけれど何だかはっきりわからない状況で、切る前に出来るだけ正しい事前情報を得て治療の助けとするのが当面のゴールです。何かできているのにも気づかない状態の人を定期的に検査して癌の早期発見を目指すレベルには達していません。どうも癌のスクリーニングというのは、罹患率の低い癌になればなるほど偽陽性の率が低くないと公益とならないようです。確かに良性で放っておいても困らない疾患が偽陽性でひっかかり次々に手術が行われたら、それによってごく少数の人の癌が見つかったとしても社会全体から見たらマイナスの方が大きいのでしょう。本人だって卵巣まるごと取られて、急に更年期突入で苦しんで、でも調べたら癌ではなかった…という事態はなるべく避けたいでしょうし。卵巣がんは幸か不幸か乳がんなどと比べると罹患率が低いので、スクリーニングの精度はハードルが非常に高くなるようです。難しいですね。

あっそれと、HE4マーカーは上皮性卵巣がんの中でも漿液性の場合に最も感度が高く、粘液性、類内膜、明細胞だと反応が鈍いという説があります。その反面、CA125値が当てにならない初期の癌(特に閉経前の方)でもHE4なら正しく反応するという結果もでています。なんだかもうどれも一長一短ですね。患者としてはやっぱり全部やってみたいって感じでしょうかね〜。

ああ久しぶりにきちんと文章を書いて緊張しました。またがんばって時々更新するようにしま〜す!
posted by leo at 16:29| Comment(2) | 卵巣がんニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月06日

9ヶ月の遅れ

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アップル社のSteve Job氏の訃報は世界中を駆け回り多くの人に衝撃を与えました。56歳。本来死ぬような年齢ではありません。さぞ心残りだったと思います。心よりご冥福をお祈りいたします。

生前Job氏は非常にプライバシーを重んじられ、病気についての詳細は公表されませんでしたが膵臓がんでした。癌と診断されたのは2003年10月のことです。膵臓がんで8年生存、しかも亡くなられる6週間前まで世界のトップ企業の一つであるアップル社のCEOという激務をこなされていたとは…やはり凄いと感じられる方も少なくないかと思います。

Job氏の膵臓がんは正確にはislet cell neuroendocrine tumor(多分日本語では膵島細胞がん)という稀な種類の癌でした。普通の膵臓がんと比べるとおっとりした癌らしく、手術で切除できれば10年以上生存する可能性も大いにあると言われています。Job氏の癌は健康診断で偶然見つかり、てっきり普通の膵臓がんだと早とちりしたドクターから余命6ヶ月と告げられました。その後、口からの内視鏡を使って生体組織検査を受け膵島細胞がんであることが判明。Job氏自身は鎮静剤で眠っていましたが、立ち会った奥様によると組織検査をした医師は安堵のあまり涙を流したそうです。

ところがJob氏はすぐに手術を受けませんでした。仏教徒で菜食主義者だったJob氏は西洋医学の標準治療に疑問を持っておられ、食事療法や薬草などで癌を治そうと試みていたらしいのです。アップル社の役員には、分子標的薬の開発/製造で有名なあのGenentech社のCEO、Arthur Levinson氏も含まれ、手術を受けるようJob氏の説得にあたったと伝えられています。誰の説得が功を奏したのかはわかりませんが、Job氏は心変わりされ2004年7月31日にスタンフォード大学付属病院で手術を受けました。癌の診断後9ヶ月以上経っていました。

この9ヶ月の遅れがどんな違いを生んだのかは誰にも分かりません。すぐ手術していれば完治したのか?すぐ手術しても9ヶ月後に手術しても結果は変わらなかったのか?神のみぞ知るです。個人的には、アップル社というテクノロジーの先端を行く企業の創立者が西洋医学に懐疑的だったという点にビックリしたのと、この9ヶ月間にアップル社が大企業としてどう対応すべきか苦慮していた点が興味深かったです。CEOが癌だというだけでもショッキングなニュースなのに代替医療で治そうとしているなんて投資者にどう顔向けすればよいのか… 結局弁護士と相談の上、手術するまで一切を伏せておくことに決まったのだとか。当のJob氏は手術の翌日、病床から従業員全員にメールを出して完治宣言していたそうです。そのメールの中で化学療法や放射線治療は必要ないと述べています。それがドクターの見解なのかJob氏が手術以外は拒否したのかは不明です。

残念ながらJob氏は完治されたわけではありませんでした。いつどんなふうに再発されたのかはJob氏のご家族やご友人、担当医チームしか知りません。知る必要もないことでしょう。2009年に肝臓移植を受けたことだけは報じられています。膵島細胞がんが肝臓へ転移した場合の治療法の一つらしいです。ただしリスクの伴う治療法です。臓器移植をすれば新しい臓器に対して拒絶反応が起きないよう免疫抑制薬の投与が必要となります。そのことから癌がさらに転移、再発しやすい状態になってしまうのです。

Job氏の死の引き金となったのは癌そのものだったのかもしれませんし、肝臓移植の合併症だったのかもしれません。いずれにせよJob氏が果敢に病気と闘われ最後まで信念を曲げなかったのは確かなようです。痛々しいほど痩せてしまわれながらも第一線から退きませんでした。生きるということは単に息をしていることを意味するのではありません。Job氏の姿からそんなことを考えさせられました。

引用元: CNN MoneyForbesReutersApple Insider
posted by leo at 15:45| Comment(2) | 癌になったセレブリティ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月19日

戦うT細胞

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皆さんは免疫療法というとどんなイメージを持っていらっしゃいますか?私は漠然と「抗がん剤や放射線に比べると身体に優しい治療法だけど効果もマイルドなので、再発防止や再発遅延を目的に用いられるのならともかく、猛威を振るっている癌には力及ばず」って感じなのかな〜と勝手に考えていました。

ところが、それとは様相の異なる免疫療法が欧米で注目を集めています。癌を一斉射撃するかわりに流れ弾が健康な細胞に当たっても許してネ、みたいなタイプです。例えばメラノーマの新薬Ipilimumabは、T細胞(リンパ球の一種)の表面に発現するCTLA-4という分子(免疫活性を抑制する作用がある)をブロックすることでT細胞の働きをを大幅に増加させます。進行・転移して手の施しようがないと診断されたメラノーマの患者さんの生存期間を中央値で3.6ヶ月延長。1年後、2年後も生存されている方の割合が倍増するという画期的な治験結果が出ました。しかしT細胞が活性化しすぎて身体の他の部分に与えるダメージが大きく、決して身体に優しい治療法ではありません。治験ではIpilimumabの投与を受けた540名のうち亡くなった方が14名。その内7名は死因が免疫がらみだったと発表されています。座して死を待つより起死回生を狙おう。うまくいかなければ死期が多少早まっても仕方ない。と捨て身でかかるような治療法に見えなくもないです。(もっとも副作用はステロイドの投与である程度コントロールできるそうですが…)

先週ニューヨークタイムス紙に取り上げられた遺伝子工学を用いた免疫療法(←今日の本題)もいささか過激な治療法の部類に入ると思います。その記事のタイトルはずばり「An Immune System Trained to Kill Cancer」(癌を殺すよう訓練された免疫システム)。続きを読んでいただけるようなら次の点を留意して下さいね。

@以下で紹介する治療法はまだ研究途上。実験段階です。
A固形癌への応用も可能だそうですが、成功した症例(まだ非常に少ない)は慢性リンパ性白血病です。

William Ludwigさんはニュージャージー在住の65歳です。慢性リンパ性白血病を患い何年も化学療法で治療してきた後、とうとう薬がどれも効かなくなってしまい体調は日毎に悪くなるばかり。そんな折、ペンシルバニア大学付属がんセンター(Abramson Cancer Center)で始まったフェーズIの臨床試験の話が舞い込みました。実験色の濃いリスクの大きな臨床試験でしたが、少しでも長く生きるチャンスがあるのならと藁をもつかむ思いで参加を決意しました。

臨床試験では遺伝子療法と免疫療法を組み合わせた技術が用いられました。土台となるのはLudwigさん自身のT細胞(Tリンパ球)。できるだけ大量のT細胞を集めるため普通の採血ではなく特殊な機械を通してT細胞とそれ以外を分け、T細胞以外はLudwigさんの体内に戻す方式をとりました。

リンパ性白血病はB細胞(Bリンパ球)の病気です。正常であろうと白血病であろうとB細胞の表面にはCD19と呼ばれるタンパク質があります。そこでCD19が敵の目印として選ばれました。遺伝子操作をしたDNAはT細胞にCARs(chimeric antigen receptorsキメラ抗原受容体)を発現させます。このキメラ君の作用でT細胞はCD19を認識することができるようになるのです。難しい理論を乱暴に解釈すると、遺伝子工学によって改良(?)されたT細胞は「CD19ヲ見ツケ次第コロセ」とプログラムされているのです。

ちなみにDNA導入の際のベクター(運び屋さん)は驚くなかれHIVだそうです。あのAIDSのHIVです。無論AIDSを発症させないように加工された無害なバージョンなのでドン引きする必要はありません。HIVは元来T細胞に侵入するのが得意なのだとか。その能力を人の命を救うために有効利用する訳ですね。人間の知恵はウイルスのしたたかさに勝る!とポジティブに解釈しましょう。

遺伝子操作済みのT細胞をLudwigさんの体内へ戻す下準備として、Ludwigさんは抗がん剤投与で普通のT細胞を消滅させる処置を受けました。そうしないと改良型のT細胞が体内で生き延び繁殖する妨げになりかねないからです。そしていよいよ新しいT細胞がLudwigさんの体内に注入されました。しばらくは何も起きませんでしたが10日後に容態が急変。激しい寒気、高熱、血圧の急降下。Ludwigさんは集中治療室に運ばれ、家族も駆けつけ最悪の事態に備えたそうです。

2週間後。熱は下がり体調も元に戻りました。そればかりかLudwigさんの白血病(癌化したBリンパ球)も消えてなくなりました。血液中にも骨髄にもどこにもありません。遺伝子操作をしたT細胞が全部始末してしまったのです。新しいT細胞はLudwigさんの体内で倍増しCD19(B細胞)の駆逐という使命を見事果たしました。Ludwigさんはもとより治療を施した医師団ですら目を疑うほどの成功でした。重さにして1キロ弱の癌細胞が死んだものと推定されました。

Ludwigさんは正に奇跡の回復を遂げたわけですが、いいことずくめではありません。治療後の発熱は新しいT細胞が癌を殺しまくっている際に産生したサイトカインという物質のせいだそうです。(腎臓癌の治療に用いられるインターロイキン2はサイトカインの一種です。)免疫反応によりサイトカインが沢山作られすぎるとサイトカイン・ストームという状態となり、命にかかわることもあるので注意が必要です。またLudwigさんには起こりませんでしたが、大量の癌細胞が一度にどっと死ぬとtumor lysis syndrome(腫瘍崩壊症候群)を発症することもあるそうです。これは細胞内の電解質等がどっと放出されて腎臓に詰まってしまう状態を指し、重篤な場合は腎不全で亡くなることもあります。

後遺症も残ります。遺伝子操作をしたT細胞はB細胞を全滅させた後、徐々に数を減らして待機状態に入ります。将来癌化したB細胞が増殖の兆しを見せたら再び兵の数を増して攻撃する…少なくとも理論上はその予定です。そのあおりでLudwigさんの体内には健康なB細胞もありません。新しいT細胞と共存できないのです。B細胞はリンパ球の一種ですので全く無いとやはり不都合です。低ガンマグロブリン血症と呼ばれる免疫不全状態になり感染しやすくなってしまいます。そのためLudwigさんは数ヶ月に一度、免疫グロブリンの点滴による補充療法を受け続けています。もっともLudwigさんにとって、白血病と比べれば低ガンマグロブリン血症くらい我慢のうちにも入らないようですが…

この遺伝子+免疫療法をペンシルバニア大で受けたのはLudwigさんを含めて3名。Ludwigさんともう1人の方は完全寛解、残りの1人は部分寛解でした。3人目の方がどうして部分寛解だったのか、その理由は不明です。サイトカインで高熱が出た際に別の病院に運ばれ、そこでステロイドを投与されたのが不利に働いたか。それとも3人目の方の白血病はとりわけ猛者だったか。推測の域を出ません。ドクターは非常に慎重な態度をとっており、Ludwigさんの状態ついても「寛解はしているが完全に治癒したと考えるには時期尚早」という見解を出しています。

似たような試みはアメリカの他の病院でも行われています。残念ながら成功例ばかりではありません。ニューヨークのスローンケタリング病院では、慢性リンパ性白血病の患者さんが遺伝子操作をしたT細胞を注入されてから4日後に亡くなるケースがありました。直接の死因は敗血症らしいですが治療との関連も否定できないそうです。米国癌研究所では同じ原理の治療を受けた大腸がんの患者さんが命を落とされました。大腸がんの臨床試験では、遺伝子操作によりERBB2タンパク(またの名をHER2)を敵と認識するCARs(キメラ抗原受容体)が用いられました。患者さんは新しいT細胞を注入した15分後に呼吸困難に陥り5日後に帰らぬ人となりました。ERBB2は乳がんをはじめ、卵巣がん、大腸がん、胃がんなどで過剰発現が見られることからターゲットに選ばれたのですが、困ったことに健康な細胞の表面にも存在します。亡くなられた患者さんの肺には癌ではないのにERBB2を発現していた箇所があり、T細胞から敵陣と見なされ猛攻撃を受けてしまったのです。それが引き金となってサイトカイン・ストームが起こり多臓器不全に陥ったと分析されました。

ペンシルバニア大の研究主任Dr. Carl Juneは、遺伝子操作をしたT細胞による治療を中皮種、卵巣がん、膵臓がんといった固形癌にも応用したいと話しています。しかし標的としてT細胞に教え込もうとしているタンパクが胸や腹部の健康な膜組織にも存在するため、膠原病に似た有害事象が起こるのではと心配されています。免疫を利用して癌を治療するのはそう容易いことではないのです。

別の意味で心配なのは、ほんの数件でも成功例があるとそれを有効性を示すエビデンスであるかのように引き合いに出し、難しい理論で煙に巻きながら「うちでも似た治療ができますよ。」とか「標準治療で治らないがんでも治る可能性がありますよ。」などと安易に治療を提供しようとするクリニックが現れそうなことです。(カナダは規制が厳しいのであまり見かけませんが。)私は個人的にそういう医療機関は信用しません。新しい治療法を試したい人はきちんとした臨床試験に参加し、全てのリスクを説明してもらった上でインフォームド・コンセントにサインして、一か八かの覚悟で治療を受けるべきだと思います。

くどいようですが、この投稿で紹介した治療技術はまだ実験段階で研究が始まったばかり。いつの日か癌治療を飛躍的に向上させる可能性を秘めた希望の星ではあっても、今すぐ臨床現場で採用されて現在癌と闘っている人の命を救うレベルの話ではないのです。自分にはとても間に合いそうもないなあと考えると一抹の寂しさ、悲しさがあります。とは言え新しい治療法登場のニュースにはやはり心が躍ります。

一方、William Ludwigさんは治療後1年経った今も完全寛解中。かつてなかった程体調の良い日々を送っています。「臨床試験が私の命を救った。」と語るLudwigさん。長年苦しんできた白血病が消えたと告げられた日の衝撃は忘れられません。見守る担当医のアドバイスは「(寛解が)いつまで続くのかは誰にもわかりません。毎日を楽しんで生きてください。」だったそうです。
posted by leo at 18:24| Comment(0) | 海外がん情報(一般) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月10日

逝く人の言葉(penmachineその10)

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(カナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんのブログ「penmachine」を紹介させていただいてきました。これが最終回です。)

ついに来た。僕はもうこの世にいない。これがブログの最後の投稿だ。癌に痛めつけられてきた僕の身体。その機能が止まる時が来たら、このメッセージを公開するよう事前に家族と友人に託しておいた… 僕を実生活で知っている人はもう知らせを受けたかもしれないが、この投稿を確認と思ってほしい。僕は1969年6月30日にカナダのバンクーバーで生まれ、2011年5月3日にバーナビーで命を閉じた。41歳。ステージIV転移性大腸がんの合併症による。僕も家族も覚悟していた…

僕はこの世界より良い場所へ行ったわけでも悪い場所に行ったわけでもない。僕はどこにも行っていない。何故ならDerekはもう存在しないのだから。身体的機能および脳神経の活動が止まると同時に、僕は生物から骸へと驚くべき変貌を遂げた。花や野ネズミが霜のおりた特別に寒い晩を越せなかったのに似ている…

だから僕は死の瞬間や死んだ後どうなるか(何も起きない)について恐れたことはない。だが死んでいく過程についてはずっと怖かった。衰弱、疲労、痛み、だんだん自分自身でなくなること。幸運にも僕の知的能力は最後まで病気の影響をまぬがれた…

子供の頃、引き算を習うとすぐに記念すべき西暦2000年に何歳になるか計算した。答えは31歳で随分おじさんになるんだなと感じた。実際に31歳までには結婚して2人の娘を持ち、テクニカルライターとしてコンピューター業界で働いていたから結構おじさんだった。

でもその後も沢山のことが起きた。ブログはまだ始めていなかった。バンドやポッドキャストもまだだった。グーグルは出来たばかりで、アップルは苦戦中で、マイクロソフトは既に巨大で、フェイスブックやツイッターはまだ存在しなかった… ニューヨークにはまだワールドトレードセンターがあって、カナダにはクレティエン首相が、アメリカにはクリントン大統領が、イギリスにはブレア首相がいた… 2000年はいとこが赤ちゃんを産む4年も前だった。もう1人のいとこは何年も後に夫となる男性とめぐり合ったばかりだった… 僕も妻も長期間入院したことはなかった。子供達はまだおむつをしていた… 犬はまだ飼っていなかった。

そして僕は癌ではなかった。癌になるとは、それも10年以内に癌になり、癌で死ぬだろうなどとは思ってもみなかった。

何故こんなことを書くのかって?何時の時点で人生が終わるとしても、自分が死んだ後に見たり聞いたりできないことがあるのは悲しい。だからと言ってその時点までの人生を後悔するわけではないと気づいたからだ。僕は2000年に31歳で死んでいたかもしれない。それでも妻や娘や仕事や趣味に満足して幸せだったろう。たとえその後に起こった多くの出来事を知る術がなかったとしても。

僕のいない世界でこれからも色々なことが起きる。世界がどうなるのか?2012年には?2060年には?どんな新しい発見があるのか?国家や人々はどう変わるのか?通信や交通手段はどうなるのか?誰を尊敬し誰を軽蔑するのか?妻のAirは何をしているのか?娘のMarinaとLaurenは?どんな勉強をしてどんな仕事に就くのか?娘たちも子供を産むのか?孫は?僕の理解を超えるようなことも娘たちの人生に起こるのか?答えはわからない。まだ命があり、この文を書いている僕にとってその場にいられないのが辛い。それを見届けられないからではなく、そばにいて妻や娘たちを助けてあげられないのが悲しいのだ。

人生がどうなるかは誰にもわからない。計画を立てたり、やりたいことをして楽しんだりはできる。しかし自分が思った通りに万事進むとは限らない。思った通りになる時もあるが、そうならない時の方が多い… 僕の病気と死を通じて娘たちにそれを学んでほしい…

世界は、いや、この宇宙全体は美しい、驚きに満ちた素晴らしい場所だ。いつも新しい発見がある。僕は過去を振り返って悔やんだりしない。家族にもそうであってほしい… Lauren、Marina、お前達が大人になって自分の人生を歩む頃、僕がどんなにお前達を愛していたか、良い父親であろうと努力していたかわかるだろう… Airdrie、君は一番の親友で最良のパートナーだった。お互いがいなかったらどうなっていたかわからないが、僕の人生がこんなに満たされることはなかったと思う。心から愛していました。I loved you, I loved you, I loved you.

(2011年5月4日投稿「The last post」より)

逝く人の言葉は常に純粋で心に響きます。

日本では4月にキャンディーズのスーちゃんが乳がんで亡くなられた際、病床で録音した最後のメッセージが公開され、多くの人の胸を打ったと聞きました。

ここカナダでは3週間ほど前に、連邦議会で第一野党の現職党首として活躍されていたJack Laytonさんが癌で急逝され国葬が営まれたばかりです。Laytonさんは死ぬ直前に「Letter to Canadians」という国民への遺書を残されました。その中で同胞のがん患者に対しては次の様に述べています。

癌に打ち勝ち、生きるための長い旅路を辿っている方々へ。私自身の旅が思ったように進まなかったことでどうか気を落とさないで下さい。絶対に希望を失ってはいけません。癌の治療はかつてなかったほど向上しています。良いほうに考え、信念を失わず、将来のことを考え続けて下さい。あとは、どんな場合も愛する人と過ごす時間を大切にして欲しいというのが私のアドバイスです。

そしてこう締めくくられました。

“My friends, love is better than anger. Hope is better than fear. Optimism is better than despair. So let us be loving, hopeful and optimistic. And we’ll change the world.”

怒りより愛すること。恐れることより希望。絶望するより良いほうに考えること。その3つを皆が心がけたら確かに世の中はもっと住みやすくなるのかもしれませんね。
posted by leo at 17:45| Comment(4) | 本やブログなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月01日

旅路の果て(penmachineその9)

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(カナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんのブログ「penmachine」を紹介させていただいています。今回は第9部です。)

現在癌を宿して生きている方やその家族の方にとって、旅路の果てに何が起こるのかは考えたくなくても心のどこかにひっかかっている問題ではないでしょうか。他の癌患者さんが最後の日々をどんな風に過ごされたか… それを知るのは怖い、知ったら落ち込んでしまう、と感じる方は本日の投稿をスキップして下さい。欧米の癌終末医療、終末期に至った患者さんの体調や心理状態などを知っておくことが、自ら心の準備をするのに役立つかもしれない(むろんその必要がないのが一番ですが)と感じられる方のみ続きを読んでいただければと思います。

ほぼ4年にわたるDerekさんの治療生活は2010年11月に終わりました。これ以上積極治療を続けても得るものがないという判断でした。それ以降は比較的穏やかな暮らしを続けられたようです。

今日はバーナビー(バンクーバー近郊の小さな市)から在宅看護ナースのPierreが来てくれた… 僕の年齢(41歳)でどんな風に死んでいくか予定を立てる必要のある人間はあまりいないだろう。ほとんどの人は年齢に係わらず全く考えたくないことだと思う。しかし僕の場合、なにぶん近い将来に起こり得るので、家族の負担や僕自身の苦しみを軽減することの方を望んでいる。在宅看護をどこに頼むのが一番いいのかとか、どんな場合は蘇生してほしくないのかとか、いろいろ準備しておかねばならない… 

ここ数十年、ブリティッシュコロンビア州の健康省は死も医療の一部であるという見方で取り組んでいる… 僕の人生はもはや癌の動きを封じたりやっつけようとしたりする段階でなくなってしまったが、死という過程を少しでもコントロールしていきたい。今日はその過程の一部として心休まる経験だった。想像するほど恐ろしくはないのかもしれない。

(2010年12月22日投稿「Helping me prepare to die」より)

癌で死ぬということは毎日少しずつ「生きている」部分が減っていくようなものだ。奇妙に聞こえるかもしれないがそういうものなのだ。例えば6ヶ月前にはウィスラーの山道を歩いたり、シアトルまでドライブに出かけたり、いとこの結婚式で写真を撮りまくったりしていたのに、今ではどれも出来そうにない。でも何時出来なくなったかはっきり覚えていない。最後にやった事のほとんどはそんな風に過ぎていくのかもしれない。以前と同じ調子で何かを行い、もう2度と出来ないと気づくのは後になってからなのだ…

趣味への興味も薄れつつある。音楽のポッドキャストはやらなくなった。体調が悪すぎるし自宅でレコーディングすることが以前ほど面白く感じられなくなったのだ… 大量にカメラやレンズを収集したにもかかわらず写真も撮らなくなった。好きなこと全部をあきらめたわけではないが、体力的にきつくて楽しめなくなったこともある。昔は簡単に持ち歩けたSLRカメラが、本当に重く感じられて運ぶのが大変になったのが一例だ。でも書くことだけはやめない… 

だから僕は自分の出来る事を続ける。一番好きで身体的にも可能な活動を。例え自分の核となる部分まで削られていっても。病と死に直面しているうちに明らかになったのは、実行するのが難しいものや重要度の低いものは消えてゆき、自分が出来る最も大事なものだけが残ることだ。少なくなっていっても僕は僕のままなのだ。

(2011年2月24日投稿「A little less each day」より)

キモを含む積極治療を止めたのは昨年11月だが薬を飲まなくなったのではない。最近追加されたのはリタリンだ。むろん癌で多動性障害になったわけではない。その逆で眠くて元気の出ないことが多い… リタリンが処方されたのはナルコレプシーといった睡眠障害や極度の疲労に効果があるからだ。効いてるみたいだ!朝食の時に服用すると昼寝なしでも大丈夫なことが多い… でも毎日飲んではいけない。週に1日か2日、飲まない日を設けるようドクターに勧められた。でないとだんだん効かなくなり用量を増やさねばならなくなるからだそうだ…

他には制吐剤のドンペリドン、痛み止めのモルヒネ(効き目が長いのと短いのと両方)、下痢止めのイモディウム(あまり効かない)、血液凝固を抑えるフラグミン、熱が出たり節々が痛む時はタイラノールも服用している。

(2011年3月7日投稿「The drugs」より)

あれよあれよという間に、飼い犬ルーシーの散歩といった簡単な用を足すのさえ難しくなった。もうその元気がない。車の運転もできそうにない。家族や友達と外食なんて問題外だ。例えば今朝は、やっとの思いで起き上がりバスローブを身につけスリッパを履き、ルーシーを裏庭に出してやるためにドアを開けに行った。ルーシーについて裏庭に出ようとしたが庭へ続く短い階段の途中で座り込んでしまった。階段を一気に降りる力がなかったのだ…

昨日ファミリードクターに会った折、(終末期の)癌患者を衰弱させる代表的な症状は痛みと疲労感だと言われた。痛みの方は程よくコントロールできている。ドクターから出来るだけ身体を動かし頭も回転させるよう勧められた… あとどれだけ一人で歩けるのだろう。自分でサンドイッチを作れなくなるまで、寝たきりになるまで、あとどの位なんだろう。僕も医師も、誰もその答えを知らないが、その日は来るというのが怖い。

(2011年4月2日投稿「The time will come」より)

医師団は僕の症状を緩和するため色々と手を尽くしている。その一つが先週行った腹腔神経叢ブロックだ。お腹の痛みが大分楽になった。咳は続いているが肺に水が溜まっているからではない。呼吸器の組織を部分的に乾かす薬を寝る前に服用すると多少落ち着く。紙おむつも使っている。両足が浮腫んできたが、腫瘍が大きくなりリンパの循環などを妨げるようになると新陳代謝が崩れて起きるらしい。治療?足を上げた姿勢で寝るのと弾性ストッキングを履くことくらいだ。ぼ〜っとするほど疲れて眠い。リタリンを飲まない日は特にそうだ…

州公式のDNR(蘇生術を行わない)の書類にサインしたので、心臓発作など急変が起きた場合、僕は余命が短く、あらゆる手段を用いて延命処置をする必要のないことを明らかにした。特に集中治療室で人口呼吸器に繋がれるのには全く意味が無い。回復したら長い人生が待っている人に場所を譲るべきだ。

明日はバーナビー病院のナース、Emilyが在宅看護に必要なものは足りているか見にきてくれる。バーナビー病院緩和病棟はとてもいい所だし家からも近いけれどそこに行く気はない。最後の日々を自宅で過ごし自分の部屋で死にたい。それを少しでも楽にするためにバーナビー病院から電動式の介護ベッドを持ってきてくれるらしい。

合理主義的すぎて冷たく聞こえるかもしれないが、自らの死をどんな風に迎えるかを妻と二人で決定できることに満足していると言ってよい… 現時点では特に心配される臓器や身体器官の系統はない。引き金となって急変を起こしそうな要因も見当たらないとドクターは言っている。おそらく少しずつ身体が弱り、眠っている時間が長くなり、最後には機能が停止するのだろう…

(2011年4月14日投稿「On the gravel road」より)

今日、車から家までの短い距離を移動するのにあまりにも苦労したので、これからは担架なしではどこへも行けないとわかった。人生で一番しんどい経験だった。これで僕は家から離れられないばかりか床からも離れられない身となった。
(2011年4月27日投稿「I can speak, but in a squeaky way」より)

これがDerekさんの生前最後の投稿となりました。
(次回に続く)
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2011年08月17日

エンドゲーム(penmachineその8)

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(カナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんのブログ「penmachine」を紹介させていただいています。今回は第8部です。)

早期発見→完治という理想コースを辿ることができず、進行、転移、再発してしまった癌の場合、治療を続けることは生き続けることを意味します。少なくとも大部分の人にとってはそうでしょう。そして何時か、あらゆる治療が効かなくなり治療法が尽きてしまう日が来ます。そう頭で理解していても、何時までもその日が来て欲しくない、その日が来るのが怖い、と感じるのが人間だと思います。

4年近く癌と闘ってきたDerekさんにもついにその日がやって来ました。

これからの数年間に世界中で約1億人の人間が命を落とす。老衰、自然死、事故、感染、細菌、毒、戦争、テロ、先天性の欠陥、喧嘩、自殺、天災、医療ミス、暑さや寒さ、不運、暗殺、殺人、そして様々な病気で人は死ぬ。1000万から1500万の人は癌で死ぬ。僕はその1人である…

医師は患者がどの位生きられるかをはっきり言いたがらないので有名だ。それには理由がある。医師が予想した余命は外れることも少なくないからだ。ブリティッシュコロンビア州癌センターの診察室で、僕は妻と一緒にそれを腫瘍内科医のDr. Kenneckeから聞き出した。
「2年後も僕が生きて診察に来ると思いますか?」居ずまい正して尋ねると
「正直なところ、そうなるとは思えません。」とドクターは答えた…

僕の化学療法はもう効いていない。そして4年近く新薬や標準薬で治療してきて試す薬が底をついてしまった。腫瘍は今も肺や腹腔で大きくなっている。僕は医師と相談し、これ以上積極治療をしないと決めた。多分あと1年くらいの命ではないかと思う。

癌が見つかったのは2007年初頭。少なくとも2008年後半から、手術、放射線、キモといった治療が僕の癌を完全に治すことはないだろうと気づいていた。寛解したことは一度もない。僕の癌はゆっくりと、しかし着実に増大し続けてきた。それはCT検査やマーカー値にはっきり現れていた。僕と妻と娘達にとって矢印がどっちに向いているのかは明らかだった。

キモが楽だったことはない… 特に今年の夏以降は酷くて、おそらく癌細胞を効果的に叩くというより正常な細胞の方を痛めつけ、恩恵よりも害が大きかったのではと感じる… ぼくの身体はボロボロで、後どれだけ持ちこたえられるかは誰にもわからない。あまり長いことは持たないだろう。

重要なのは、旅立つ準備を始める時が来た、という事実を受け入れる心構えができたことだ。これはあきらめとは違う。現実から顔を背けないということなんだ。僕が惑わされたり否定したりするタイプでないことは、僕のことを知っている人は皆わかってくれるだろう。

平均寿命が延びるに伴い僕らの社会は死に対処するのが非常に苦手になった。まったく知らない人から、奇跡の治癒をうたう治療法を試せと必死で勧めるメールがしょっちゅう送られてくる。善意からだというのはわかる。しかしそういう人達は、健康だった41歳の男が癌になって死ぬこと、それを止める術がないことをどうしても認めたがらないだけのように思える…

彼らが提案する治療法について調べてみたが効果を示すエビデンスはない。おまけに費用も高額で僕の家族を破産させてしまう。正当な理由もなく僕らの生活をこれ以上かき乱させることはできない…

これからどうなるかは定かでない。癌センターには終末期の患者や家族を助けるチームがあるらしい。やがてもっと強い痛み止めが必要になるだろう。僕の癌は肺に広がっているから補助の酸素も用になるかもしれない…

僕はチェスはやらないが、チェスには「エンドゲーム」という有益なコンセプトがあるそうだ。手持ちの駒が少なくなりゲーム終盤に近づいたら戦略を変えることを指す。僕は自分のエンドゲームにさしかかったところだ。どうなるか少しだけ予測できる。

飼い犬のルーシーは僕よりも長生きするだろう。今年のクリスマスが最後のクリスマスになるかもしれない。来年6月に42歳の誕生日を迎えられるかどうかはわからない。車や眼鏡を買い替えることはもうない。でも最後のミルク、最後のコーヒーは先の話だ。

自分の死に直面するのは容易いことではない。家族や親類にとっては物凄く辛い。家族や親類は余計に辛いかもしれない。僕は死んでしまえばそれまでだけど彼らはその後も生き続けるのだから…

妻と2人の娘とは死について沢山話し合ってきた。これからも話していく。まだ死ぬわけにはいかないが死んでいく準備には取り掛かれる。

さあ進もう。

(2010年11月27日投稿「The endgame」より)

これを読まれて、Derekさんの気持ちがよくわかると感じる方、それ程ドライに割り切れないと感じる方、様々だと思います。私はDerekさんと同様、自分の死を認めることはあきらめとは違うと感じます。Derekさんが治療を止めたのはキモが辛いから逃げたのではありません。癌に耐性がつき薬が効きにくくなったこと、抗がん剤による身体へのダメージが恩恵を上回ようになったこと、Derekさんの癌に効果が期待される薬はもう残っていないこと、言い換えると治療を続けても意味が無い病状に至ったことを理解されたからです。認めたくない事実でも受け入れる強さ、潔さの現われだと思います。

Derekさんはこの時点でも生きる希望を持ち続けておられました。確信はないものの、もう1年くらいは生きていられるかも…と心のどこかで期待されているのが伺われます。残念ながら現実はより厳しく、Derekさんは上記の投稿後5ヶ月あまりで世を去ることになります。

(次回に続く)
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2011年08月04日

新薬の活躍、標準薬の貫禄(penmachineその7)

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(カナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんのブログ「penmachine」を紹介させていただいています。今回は第7部です。)

Derekさんが一か八かのフェーズI治験で試すことになったCediranib(商品名Recentin)は、大腸がんに対してある程度の効き目を示した薬のようです。しかし、その後実施されたフェーズIIIの治験(進行・転移した大腸がん対象、FOLFOX+アバスチンとFOLFOX+Cediranibの直接比較)ではアバスチンに破れ、製薬会社のアストラゼネカは米国でのファーストライン用の承認申請を断念してしまいました。

いわゆるエビデンスの微妙な点は統計に頼らざるを得ないところなのかもしれません。新しい薬は、統計的に有意な差をつけて既存の治療薬に勝っていると示さなければ承認にこぎつけません。中には薬効より有害事象のリスクの方が高い薬もあるでしょうが、そこそこ効くのだが全体的に既存薬には一歩及ばなかったという場合、人によってはその薬の恩恵をかなり得る可能性もないとは言い切れません。

ファーストラインでこそありませんでしたが、Cediranib はDerekさんの癌の動きを1年近く最小限に留めることに成功しました。まさにグッドジョブでした。飲み薬なので点滴に通う必要はありません。分子標的薬なので殺細胞系の抗がん剤と比べれば副作用もマイルドです。(むろん若干ですが。)

Cediranib の副作用は普通の抗がん剤の副作用とは異なる… 腸に来る。いつ来るか予測するのが難しい… 家族はこの症状を「う○こ祭り」と呼ぶようになった。始まると1〜2時間トイレを占領。或いはトイレから戻って来るなり再び直行の繰り返し。時々「ジュラシックな内臓」になって、僕のお腹はスピルバーグの恐竜が唸るような音を立てる。それだけガスが溜まると結構痛かったりする。
(2009年1月31日投稿「Cancer update」より)

CT検査の結果、癌は安定しているとわかった。2回連続だ。この薬(Cediranib)でしばらく持つかもしれない。

にしてもどうにかならないのかね。副作用。1時間半トイレにいてやっとベッドに戻ってきたところだ。生きる為に払わなくてはならない代償なんだろうな。

(2009年6月9日投稿「Keep on keeping’ on」より)

という具合に、決して快調ではないにしろ検査の結果に胸を撫でおろしながら、家族と過ごす時間の幸せをかみしめて暮らすDerekさんでした。そしてそれは2009年11月下旬、新たな腫瘍が肺に見つかるまで続きました。9月のCT画像には写っておらず11月に突如現れた数個のニューフェイスは、既に2〜3センチの急成長を遂げるほど勢いづいていました。転移の拡大が見られたことでCediranibはお役御免となり、標準的な抗がん剤を使ったより積極的な治療に戻ることが決まりました。

急成長する癌なんて僕の体内にあって欲しい筈がない。でも全く驚きだと言うわけでもない。癌というのはこういうものなのだ。治療が功を奏する。良くなったり悪くなったりする。治療が効かなくなることもある。いつだって戦いだ。負けるかもしれない。

妻も子供も両親も友達も、みんな悲しい思いをしている。僕の頭の中では色々なことが渦巻いている。また未知の未来に足を踏み入れる時が来たのだ。
(2009年11月27日投稿「Oh fuck」より)

頭で理解していたとはいえDerekさんのショックはさぞ大きかったでしょう。次のキモはFOLFOX(5FU+ロイコボリン+オキサリプラチン)。どれも以前使った薬ですが5FUを増量しての再投与です。当然副作用も倍増しますが、ベテラン癌患者となったDerekさんにとって吐き気や疲労感は想定内だったようです。ただ思ってもみなかった副作用も起きました。

- 皮膚が寒気に対して非常に敏感になった。完全に防寒準備をして出かけても戻ってくると指先や鼻が凍傷寸前になっている。
- 冷たい飲み物が飲めなくなった。冷たいオレンジジュースを飲むと粒々が入ってなくても入っているように感じて口や喉が痛い。
- 指の関節が乾いて黒ずんでいる。爪にも茶色い線が浮いている。
- 傷の治りが異常に遅い。
- 治療の合間でも吐き気に襲われる。突然嘔吐してしまうのでコントロールできない。
- 足の裏が超敏感になって水ぶくれでもできているのかと感じる程。寝る時も靴下を履いて寝なくてはならない。

(2010年1月8日投稿「A funny thing happened to me on the way to chemo ward」より)

一方、良い知らせもありました。長年の実績がある標準治療のレジメンというのはやはり最も効果的なのか、はたまた5FUを高用量にしたのが決め手となったのかはわかりません。が、アグレッシブな治療によりDerekさんの肺の腫瘍は少し小さくなったのです。今まで色々な薬を試してきて癌の増大を抑制するのが精一杯だったのに、ここにきて初めて縮小。非常に客観的に現状分析する能力をお持ちのDerekさんの心中では、期待しすぎてはいけないという気持ちと、もしかしたらという気持ちがかわるがわる頭をもたげました。つくづく病気は残酷です。

2ヶ月前のCT検査で、癌患者歴3年めにして初めて腫瘍の縮小が確認された。でも「僕はまだ癌なんだ。僕の胸には癌が広がっていて、それが少し減っただけなんだ」と自分を戒めていた。1回の検査では何とも言えない。でも2回続いたら傾向と言えるかもしれない。最新のCTで癌が更に小さくなっていることがわかった…

これは寛解ではない。治癒でもない。元気になったわけでもない… 多分もうしばらく生きていられるだろうということを意味しているにすぎない。生き続けることが僕の現実的な希望なんだ。
(2010年4月22日投稿「Tumours still shrinking」より)

残念ながら縮小傾向は長くは続かず、2010年7月のCTで癌はまた大きくなっていました。

気落ちしたが打ちひしがれたというほどではない… ドクターは今のキモはもう効いていないと見ている。抗生物質が耐性菌に効かなくなるように抗がん剤も長く使っているとだんだん効果がなくなるのだ… ガクッとするニュースだが過去数年間に何度も経験してきたことだ。どの薬を何回使ったのか思い出せないくらいだ。僕にとっては深刻な危機というより落ち込む出来事という感じだ。家族の方が辛いだろう。

薬の変更にはいい点もある。僕の身体がFOLFOXから回復するまで次の治療を待つようドクターが勧めてくれたことだ。9月の初めまで6週間の休薬期間。副作用で寝込むことなく夏を楽しめる… 1日1日を必死で生きてる身にとって、世界一美しい街(バンクーバー)で過ごす6週間の夏休みと体調の改善は予期せぬボーナスだ。
(2010年7月29日投稿「Tumours growing again」より)

Derekさんは休薬後もう一度FORFILIによる治療を受けました。

そしてそれがDerekさんにとって最後の化学療法となりました。

(次回に続く)
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2011年07月25日

統合医療と治験(penmachineその6)

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(カナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんのブログ「penmachine」を紹介させていただいています。今回は第6部です。)

癌の診断を下されてから2年近く、検査、手術、放射線、抗がん剤とDerekさんはハードスケジュールをこなしてきました。心の底に「一日も早く癌を治して普通の生活に戻りたい」という希望を持ち続けてきました。しかし、冷静に現実を分析し「癌と共生しながら一日でも長く生きる」に目標を修正。それに伴い、今まで以上にQOLを重視するようになりました。

そんな折、Derekさんは妻のAirさんと一緒に市内のInspireHealthという統合医療センターに足を運びました。統合医療については興味のある方も多いかと思いますので少し詳しく書いておきます。

InspireHealthは、カナダで唯一の州政府お墨付きのNPO統合医療施設で、州の癌センターとも協力関係にあります。目指すのはあくまでも統合医療であり代替医療ではありません。言い換えると、癌の標準治療に代わる治療法を提供するのではなく、標準治療でカバーしきれない部分を補う役割を負っているのです。標準治療は癌という患者の身体の一部分に焦点を絞っており、全体的な健康状態、精神状態、生活習慣などにはなかなか手が回りません。癌を殺すためには他の部分がある程度犠牲になっても致し方ないと考えているふしがあります。対して、InspireHealthは癌を宿しながらも出来るだけ元気に生きていくための土壌作りを手伝ってくれる場所と言えます。寛解中の人の場合は、再発の可能性や不安感を少しでも軽減するのが目的です。

具体的には、専属医師との90分間の面談による全体的な健康状態の診断(州の健康保険適応)。必要と判断されればビタミン等サプリの処方や生活習慣の改善についてのアドバイスも頂けます。その他、料理教室、瞑想、ヨガ、リラクゼーションなどのクラスも有り、これらの費用も州の健康保健でカバーされます。また週に1回Fireside Chat(無料)というのが開かれ、統合医療に興味を持っている人を対象に、専属医師がInspireHealthのプログラムについての質問に直接答えて下さいます。病院の診察室で行われる医師との面談は、ともすれば堅苦しく事務的な雰囲気になりがちです。Fireside Chatは、暖炉の周りで仲良く談笑するような暖かく親しみやすい雰囲気の中で、患者が医師に自由に質問できる場となっています。

その他、LIFEプログラムと呼ばれる2日間のワークショップがあり、こちらは自費(445カナダドル)での参加となります。講習内容は、基本となる健康的な心と身体作り、ストレス軽減、食事と運動、治療方針に関する意思決定、統合医療の分野における最新研究結果などを含みます。更に、マッサージや鍼、ナチュロパス(自然療法医)や栄養士によるカウンセリングなども希望すれば随時受けられるようなっています。(栄養士のカウンセリングは州保健適応、それ以外は自費)ちなみにInspireHealthの運営費用の大部分は、州政府からの補助及び企業や個人からの寄付から成り立っているそうです。

DerekさんはInspireHealthの感想を次のように記しています。

つい最近まで僕は治療に対して極めて受動的だった。癌を撃退するために医師がぶつけてくるどんな治療でも受け入れ、それに伴う痛みや苦しみに耐えてきた…研究途上の薬を使うようになった今、治療の恩恵と治療による損失を量りにかけなければならない。InspireHealthは、その複雑な意思決定をしていく上で助けとなるばかりでなく、健康的な食事をし、身体を動かし、効果的にリラックスする方法を教えてくれる。

医師からの勧めでビタミンやサプリも取りはじめた。我が家の食卓にはオーガニックや無加工の食品が並ぶようになり家族全員の健康推進に役立ちそうだ。寒い日でも早足で散歩するようにしている。コーヒーの代わりに飲みはじめた野菜ジュースはビックリするほど美味しい。

InspireHealthは建物全体が普通の病院とは異なる感じだ。インテリアはナチュラルカラーで照明は柔らかく、ピリピリした所がなくてリラックスできる。ガチガチ理数系の合理主義者である僕からすると、ちょっとニューエージ風だなぁという印象である。

でも効果はある。バンクーバーに住む全ての癌患者にお勧めだ。

(2008年12月2日投稿「Taking charge of cancer treatment」より)

一方、治療の方にも進展がありました。フェーズIの治験参加に躊躇していたDerekさんでしたが、腫瘍内科医の熱意のこもった説明により気が変わり、結局その実験薬を試すことになりました。薬の名前はCediranib。卵巣がんへの薬効も期待されている分子標的薬でフェーズIIIの治験が行われている最中です。(以前「Bで終わる薬」という投稿の中でちょろっと紹介しました。)

飲み薬で一日一錠を服用すればいいだけという手軽さ。また殺細胞系の抗がん剤と比較すれば副作用がマイルド。数ヶ月前に使って効かなかったPanitumumabよりは成功する見込みが大きい。といった点がDerekさんの心を動かしたようです。

治験。しかもフェーズIと聞くと、副作用の程度を調べるだけの実験台にされるのではないか尻込みする方も多いでしょう。私自身もフェーズIの治験に参加する勇気があるかどうか甚だ疑問です。大きな賭けであることに間違いないでしょう。

そしてDerekさんは賭けに勝ちました。一日一錠のCediranibがDerekさんの癌の動きを1年近く鈍らせたのです。

(次回に続く)
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2011年07月19日

癌と共に生きる決意(penmachineその5)

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(カナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんのブログ「penmachine」を紹介させていただいています。今回は第5部です。)

2007年10月から2008年5月まで8ヶ月(16回)に渡るFOLFIRI+アバスチン。にも係わらず縮小の兆しが見えぬ肺転移の癌。厳しい状況が続く中、暫しの休薬期間にほっと一息つくDerekさんでした。

2008年7月。新たな治験への参加が決まり治療が再開しました。今度の治験はIrinotecanとPanitumumab(商品名Vectibix)の併用療法です。イリノテカンは日本の癌患者さんには馴染みのある薬かと思います。Panitumumabはアービタックス(Cetuximab)と似た分子標的薬で、アービタックスと同じく上皮成長因子受容体(EGFR)の働きを阻害します。代表的な副作用は発疹など皮膚の障害です。Derekさんにも湿疹とニキビのような吹き出物が投薬後数日で現れ、顔が真っ赤に腫れあがりヒリヒリ痛む有様でした。幸い症状は2〜3日で沈静しはじめ、2回目の点滴後は副作用の出方もマイルドになって、肩や胸、背中を湿疹に覆われながらも顔は比較的無事だったようです。

しかし残念ながらIrinotecanとPanitumumabの組み合わせは効果を発揮しませんでした。9月に撮ったCT画像で腫瘍の増大が認められ、治療は急遽打ち切りになってしまいました。次の化学療法をどうするのか。治療方針の決定を待つ間に、Derekさんはストーマ(イレオストミー)を取り除く手術を受けました。ストーマは2007年7月の直腸切除手術の際に臨時増設されたもので、手術の傷が癒えた大腸の配管工事をやり直してもらった次第です。

治療生活が長引くにつれ様々な思いがDerekさんの心をよぎります。

ここ数日、カメラの三脚を家中探し回っている… 1メートル位で大きな緑のナイロン袋に入っている。簡単に失くすようなものではないのに… 何かをしようと思った直後に忘れてしまうことも珍しくない。ゴミを外に出すとか図書館へ本を返却するとか… 年のせいにすることもできるかもしれないが僕はまだ38歳だ。妻はこの状態を「キモブレイン(化学療法に伴う認知障害)」と呼び、抗がん剤の投与を受けた患者の間では良く知られた障害なのだと教えてくれた。
(2008年6月12日投稿「Chemo brain」より)

最後に癌の症状を感じてから1年以上経っていることに気づいた。2007年の手術で直腸の腫瘍は切除されて肺に転移した小さな癌だけとなった。

明らかに良くない状態だ。その癌が大きくなっているのだからなおさらだ。でも症状は全くない。自転車に乗ったり登山をしたりして肺を酷使しても問題ない。以前より身体が弱くなって常に疲労感がつきまとっているが、そうした不快感は手術や抗がん剤、その他いろいろな薬の副作用からきている。

今日も一日中ベッドに横たわったまま過ごした。グッタリして吐き気がして。でもそれは癌のせいではなく薬のせいだ。必要なこと、無しにはすまないことなのだろうが奇妙な感じがする。

(2008年8月14日「The cure and the disease」より)

数日前に妻と話し合った… 妻は癌になってから僕の心中にあることを見抜いていた。僕は医師が勧めるどんな治療法でも試して癌と闘ってきた。そのためにどんなに具合が悪くなっても、それらの武器のどれかが癌を退治して人生を前に進める日が来ると望み続けてきた。僕の人生は病と闘うために一時停止状態なのだと考えていた。普通の生活を再開する前に通り抜けねばならない段階であるかのように扱ってきたのだ。

ところが現実はそうではなかった。次の治療プランはフェーズIの治験だ。新薬の初期の臨床試験で、その薬が癌に効くかどうか調べるというより、血液検査の結果や副作用など患者がどう反応するかを調べる治験だ。言い換えると、標準的な治療法の種がつきて実験的な治療法に手を出そうとしているということだ。成功するチャンスは小さく、それでも副作用だけはあるだろう。

妻は僕の目を「癌と共にどう生きていくのか」という問題に向けさせてくれた。何故ならそれがこれからの僕の人生なのだから。どれだけ続くかわからない。何ヶ月か…確実に。何年か…多分。全ての兆候から察するに、僕は残る人生の間ずっと癌である。恐らくいつの日か癌で死ぬのだろう。

にもかかわらず9月に最後のキモを止めて以来、体調は絶好調だ。だから今まで苦しかった原因の大部分は病気のせいではなく治療のせいだったのだ。癌と闘うために必要な苦しみだと思ってきたけれど、今こそ重要な決断をする時だろう。

…昨日治験の話を聞いた際、無意識のうちに自分は参加するだろうと考えていた。だが乏しくなったメニューから医師が出してくるものを何でも受け入れるというのは惰性のようなものだ。僕は人生で行きたい所もやりたい事もある。夫であり父親でありたい…

勝てない戦を戦って人生を無駄にすべきではないのかもしれない。一時停止はもうやめて生きたいように生きよう。

(2008年10月28日「To fight, or to live」より)

治る見込みのない癌を宿した患者の多くが思い悩む問題です。癌と共に生きる覚悟をしても感情的にそう易々とは割り切れません。Derekさんの心の中では葛藤が続きました。

(次回に続く)
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