2011年09月19日

戦うT細胞

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皆さんは免疫療法というとどんなイメージを持っていらっしゃいますか?私は漠然と「抗がん剤や放射線に比べると身体に優しい治療法だけど効果もマイルドなので、再発防止や再発遅延を目的に用いられるのならともかく、猛威を振るっている癌には力及ばず」って感じなのかな〜と勝手に考えていました。

ところが、それとは様相の異なる免疫療法が欧米で注目を集めています。癌を一斉射撃するかわりに流れ弾が健康な細胞に当たっても許してネ、みたいなタイプです。例えばメラノーマの新薬Ipilimumabは、T細胞(リンパ球の一種)の表面に発現するCTLA-4という分子(免疫活性を抑制する作用がある)をブロックすることでT細胞の働きをを大幅に増加させます。進行・転移して手の施しようがないと診断されたメラノーマの患者さんの生存期間を中央値で3.6ヶ月延長。1年後、2年後も生存されている方の割合が倍増するという画期的な治験結果が出ました。しかしT細胞が活性化しすぎて身体の他の部分に与えるダメージが大きく、決して身体に優しい治療法ではありません。治験ではIpilimumabの投与を受けた540名のうち亡くなった方が14名。その内7名は死因が免疫がらみだったと発表されています。座して死を待つより起死回生を狙おう。うまくいかなければ死期が多少早まっても仕方ない。と捨て身でかかるような治療法に見えなくもないです。(もっとも副作用はステロイドの投与である程度コントロールできるそうですが…)

先週ニューヨークタイムス紙に取り上げられた遺伝子工学を用いた免疫療法(←今日の本題)もいささか過激な治療法の部類に入ると思います。その記事のタイトルはずばり「An Immune System Trained to Kill Cancer」(癌を殺すよう訓練された免疫システム)。続きを読んでいただけるようなら次の点を留意して下さいね。

@以下で紹介する治療法はまだ研究途上。実験段階です。
A固形癌への応用も可能だそうですが、成功した症例(まだ非常に少ない)は慢性リンパ性白血病です。

William Ludwigさんはニュージャージー在住の65歳です。慢性リンパ性白血病を患い何年も化学療法で治療してきた後、とうとう薬がどれも効かなくなってしまい体調は日毎に悪くなるばかり。そんな折、ペンシルバニア大学付属がんセンター(Abramson Cancer Center)で始まったフェーズIの臨床試験の話が舞い込みました。実験色の濃いリスクの大きな臨床試験でしたが、少しでも長く生きるチャンスがあるのならと藁をもつかむ思いで参加を決意しました。

臨床試験では遺伝子療法と免疫療法を組み合わせた技術が用いられました。土台となるのはLudwigさん自身のT細胞(Tリンパ球)。できるだけ大量のT細胞を集めるため普通の採血ではなく特殊な機械を通してT細胞とそれ以外を分け、T細胞以外はLudwigさんの体内に戻す方式をとりました。

リンパ性白血病はB細胞(Bリンパ球)の病気です。正常であろうと白血病であろうとB細胞の表面にはCD19と呼ばれるタンパク質があります。そこでCD19が敵の目印として選ばれました。遺伝子操作をしたDNAはT細胞にCARs(chimeric antigen receptorsキメラ抗原受容体)を発現させます。このキメラ君の作用でT細胞はCD19を認識することができるようになるのです。難しい理論を乱暴に解釈すると、遺伝子工学によって改良(?)されたT細胞は「CD19ヲ見ツケ次第コロセ」とプログラムされているのです。

ちなみにDNA導入の際のベクター(運び屋さん)は驚くなかれHIVだそうです。あのAIDSのHIVです。無論AIDSを発症させないように加工された無害なバージョンなのでドン引きする必要はありません。HIVは元来T細胞に侵入するのが得意なのだとか。その能力を人の命を救うために有効利用する訳ですね。人間の知恵はウイルスのしたたかさに勝る!とポジティブに解釈しましょう。

遺伝子操作済みのT細胞をLudwigさんの体内へ戻す下準備として、Ludwigさんは抗がん剤投与で普通のT細胞を消滅させる処置を受けました。そうしないと改良型のT細胞が体内で生き延び繁殖する妨げになりかねないからです。そしていよいよ新しいT細胞がLudwigさんの体内に注入されました。しばらくは何も起きませんでしたが10日後に容態が急変。激しい寒気、高熱、血圧の急降下。Ludwigさんは集中治療室に運ばれ、家族も駆けつけ最悪の事態に備えたそうです。

2週間後。熱は下がり体調も元に戻りました。そればかりかLudwigさんの白血病(癌化したBリンパ球)も消えてなくなりました。血液中にも骨髄にもどこにもありません。遺伝子操作をしたT細胞が全部始末してしまったのです。新しいT細胞はLudwigさんの体内で倍増しCD19(B細胞)の駆逐という使命を見事果たしました。Ludwigさんはもとより治療を施した医師団ですら目を疑うほどの成功でした。重さにして1キロ弱の癌細胞が死んだものと推定されました。

Ludwigさんは正に奇跡の回復を遂げたわけですが、いいことずくめではありません。治療後の発熱は新しいT細胞が癌を殺しまくっている際に産生したサイトカインという物質のせいだそうです。(腎臓癌の治療に用いられるインターロイキン2はサイトカインの一種です。)免疫反応によりサイトカインが沢山作られすぎるとサイトカイン・ストームという状態となり、命にかかわることもあるので注意が必要です。またLudwigさんには起こりませんでしたが、大量の癌細胞が一度にどっと死ぬとtumor lysis syndrome(腫瘍崩壊症候群)を発症することもあるそうです。これは細胞内の電解質等がどっと放出されて腎臓に詰まってしまう状態を指し、重篤な場合は腎不全で亡くなることもあります。

後遺症も残ります。遺伝子操作をしたT細胞はB細胞を全滅させた後、徐々に数を減らして待機状態に入ります。将来癌化したB細胞が増殖の兆しを見せたら再び兵の数を増して攻撃する…少なくとも理論上はその予定です。そのあおりでLudwigさんの体内には健康なB細胞もありません。新しいT細胞と共存できないのです。B細胞はリンパ球の一種ですので全く無いとやはり不都合です。低ガンマグロブリン血症と呼ばれる免疫不全状態になり感染しやすくなってしまいます。そのためLudwigさんは数ヶ月に一度、免疫グロブリンの点滴による補充療法を受け続けています。もっともLudwigさんにとって、白血病と比べれば低ガンマグロブリン血症くらい我慢のうちにも入らないようですが…

この遺伝子+免疫療法をペンシルバニア大で受けたのはLudwigさんを含めて3名。Ludwigさんともう1人の方は完全寛解、残りの1人は部分寛解でした。3人目の方がどうして部分寛解だったのか、その理由は不明です。サイトカインで高熱が出た際に別の病院に運ばれ、そこでステロイドを投与されたのが不利に働いたか。それとも3人目の方の白血病はとりわけ猛者だったか。推測の域を出ません。ドクターは非常に慎重な態度をとっており、Ludwigさんの状態ついても「寛解はしているが完全に治癒したと考えるには時期尚早」という見解を出しています。

似たような試みはアメリカの他の病院でも行われています。残念ながら成功例ばかりではありません。ニューヨークのスローンケタリング病院では、慢性リンパ性白血病の患者さんが遺伝子操作をしたT細胞を注入されてから4日後に亡くなるケースがありました。直接の死因は敗血症らしいですが治療との関連も否定できないそうです。米国癌研究所では同じ原理の治療を受けた大腸がんの患者さんが命を落とされました。大腸がんの臨床試験では、遺伝子操作によりERBB2タンパク(またの名をHER2)を敵と認識するCARs(キメラ抗原受容体)が用いられました。患者さんは新しいT細胞を注入した15分後に呼吸困難に陥り5日後に帰らぬ人となりました。ERBB2は乳がんをはじめ、卵巣がん、大腸がん、胃がんなどで過剰発現が見られることからターゲットに選ばれたのですが、困ったことに健康な細胞の表面にも存在します。亡くなられた患者さんの肺には癌ではないのにERBB2を発現していた箇所があり、T細胞から敵陣と見なされ猛攻撃を受けてしまったのです。それが引き金となってサイトカイン・ストームが起こり多臓器不全に陥ったと分析されました。

ペンシルバニア大の研究主任Dr. Carl Juneは、遺伝子操作をしたT細胞による治療を中皮種、卵巣がん、膵臓がんといった固形癌にも応用したいと話しています。しかし標的としてT細胞に教え込もうとしているタンパクが胸や腹部の健康な膜組織にも存在するため、膠原病に似た有害事象が起こるのではと心配されています。免疫を利用して癌を治療するのはそう容易いことではないのです。

別の意味で心配なのは、ほんの数件でも成功例があるとそれを有効性を示すエビデンスであるかのように引き合いに出し、難しい理論で煙に巻きながら「うちでも似た治療ができますよ。」とか「標準治療で治らないがんでも治る可能性がありますよ。」などと安易に治療を提供しようとするクリニックが現れそうなことです。(カナダは規制が厳しいのであまり見かけませんが。)私は個人的にそういう医療機関は信用しません。新しい治療法を試したい人はきちんとした臨床試験に参加し、全てのリスクを説明してもらった上でインフォームド・コンセントにサインして、一か八かの覚悟で治療を受けるべきだと思います。

くどいようですが、この投稿で紹介した治療技術はまだ実験段階で研究が始まったばかり。いつの日か癌治療を飛躍的に向上させる可能性を秘めた希望の星ではあっても、今すぐ臨床現場で採用されて現在癌と闘っている人の命を救うレベルの話ではないのです。自分にはとても間に合いそうもないなあと考えると一抹の寂しさ、悲しさがあります。とは言え新しい治療法登場のニュースにはやはり心が躍ります。

一方、William Ludwigさんは治療後1年経った今も完全寛解中。かつてなかった程体調の良い日々を送っています。「臨床試験が私の命を救った。」と語るLudwigさん。長年苦しんできた白血病が消えたと告げられた日の衝撃は忘れられません。見守る担当医のアドバイスは「(寛解が)いつまで続くのかは誰にもわかりません。毎日を楽しんで生きてください。」だったそうです。
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2011年09月10日

逝く人の言葉(penmachineその10)

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(カナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんのブログ「penmachine」を紹介させていただいてきました。これが最終回です。)

ついに来た。僕はもうこの世にいない。これがブログの最後の投稿だ。癌に痛めつけられてきた僕の身体。その機能が止まる時が来たら、このメッセージを公開するよう事前に家族と友人に託しておいた… 僕を実生活で知っている人はもう知らせを受けたかもしれないが、この投稿を確認と思ってほしい。僕は1969年6月30日にカナダのバンクーバーで生まれ、2011年5月3日にバーナビーで命を閉じた。41歳。ステージIV転移性大腸がんの合併症による。僕も家族も覚悟していた…

僕はこの世界より良い場所へ行ったわけでも悪い場所に行ったわけでもない。僕はどこにも行っていない。何故ならDerekはもう存在しないのだから。身体的機能および脳神経の活動が止まると同時に、僕は生物から骸へと驚くべき変貌を遂げた。花や野ネズミが霜のおりた特別に寒い晩を越せなかったのに似ている…

だから僕は死の瞬間や死んだ後どうなるか(何も起きない)について恐れたことはない。だが死んでいく過程についてはずっと怖かった。衰弱、疲労、痛み、だんだん自分自身でなくなること。幸運にも僕の知的能力は最後まで病気の影響をまぬがれた…

子供の頃、引き算を習うとすぐに記念すべき西暦2000年に何歳になるか計算した。答えは31歳で随分おじさんになるんだなと感じた。実際に31歳までには結婚して2人の娘を持ち、テクニカルライターとしてコンピューター業界で働いていたから結構おじさんだった。

でもその後も沢山のことが起きた。ブログはまだ始めていなかった。バンドやポッドキャストもまだだった。グーグルは出来たばかりで、アップルは苦戦中で、マイクロソフトは既に巨大で、フェイスブックやツイッターはまだ存在しなかった… ニューヨークにはまだワールドトレードセンターがあって、カナダにはクレティエン首相が、アメリカにはクリントン大統領が、イギリスにはブレア首相がいた… 2000年はいとこが赤ちゃんを産む4年も前だった。もう1人のいとこは何年も後に夫となる男性とめぐり合ったばかりだった… 僕も妻も長期間入院したことはなかった。子供達はまだおむつをしていた… 犬はまだ飼っていなかった。

そして僕は癌ではなかった。癌になるとは、それも10年以内に癌になり、癌で死ぬだろうなどとは思ってもみなかった。

何故こんなことを書くのかって?何時の時点で人生が終わるとしても、自分が死んだ後に見たり聞いたりできないことがあるのは悲しい。だからと言ってその時点までの人生を後悔するわけではないと気づいたからだ。僕は2000年に31歳で死んでいたかもしれない。それでも妻や娘や仕事や趣味に満足して幸せだったろう。たとえその後に起こった多くの出来事を知る術がなかったとしても。

僕のいない世界でこれからも色々なことが起きる。世界がどうなるのか?2012年には?2060年には?どんな新しい発見があるのか?国家や人々はどう変わるのか?通信や交通手段はどうなるのか?誰を尊敬し誰を軽蔑するのか?妻のAirは何をしているのか?娘のMarinaとLaurenは?どんな勉強をしてどんな仕事に就くのか?娘たちも子供を産むのか?孫は?僕の理解を超えるようなことも娘たちの人生に起こるのか?答えはわからない。まだ命があり、この文を書いている僕にとってその場にいられないのが辛い。それを見届けられないからではなく、そばにいて妻や娘たちを助けてあげられないのが悲しいのだ。

人生がどうなるかは誰にもわからない。計画を立てたり、やりたいことをして楽しんだりはできる。しかし自分が思った通りに万事進むとは限らない。思った通りになる時もあるが、そうならない時の方が多い… 僕の病気と死を通じて娘たちにそれを学んでほしい…

世界は、いや、この宇宙全体は美しい、驚きに満ちた素晴らしい場所だ。いつも新しい発見がある。僕は過去を振り返って悔やんだりしない。家族にもそうであってほしい… Lauren、Marina、お前達が大人になって自分の人生を歩む頃、僕がどんなにお前達を愛していたか、良い父親であろうと努力していたかわかるだろう… Airdrie、君は一番の親友で最良のパートナーだった。お互いがいなかったらどうなっていたかわからないが、僕の人生がこんなに満たされることはなかったと思う。心から愛していました。I loved you, I loved you, I loved you.

(2011年5月4日投稿「The last post」より)

逝く人の言葉は常に純粋で心に響きます。

日本では4月にキャンディーズのスーちゃんが乳がんで亡くなられた際、病床で録音した最後のメッセージが公開され、多くの人の胸を打ったと聞きました。

ここカナダでは3週間ほど前に、連邦議会で第一野党の現職党首として活躍されていたJack Laytonさんが癌で急逝され国葬が営まれたばかりです。Laytonさんは死ぬ直前に「Letter to Canadians」という国民への遺書を残されました。その中で同胞のがん患者に対しては次の様に述べています。

癌に打ち勝ち、生きるための長い旅路を辿っている方々へ。私自身の旅が思ったように進まなかったことでどうか気を落とさないで下さい。絶対に希望を失ってはいけません。癌の治療はかつてなかったほど向上しています。良いほうに考え、信念を失わず、将来のことを考え続けて下さい。あとは、どんな場合も愛する人と過ごす時間を大切にして欲しいというのが私のアドバイスです。

そしてこう締めくくられました。

“My friends, love is better than anger. Hope is better than fear. Optimism is better than despair. So let us be loving, hopeful and optimistic. And we’ll change the world.”

怒りより愛すること。恐れることより希望。絶望するより良いほうに考えること。その3つを皆が心がけたら確かに世の中はもっと住みやすくなるのかもしれませんね。
posted by leo at 17:45| Comment(4) | 本やブログなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月01日

旅路の果て(penmachineその9)

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(カナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんのブログ「penmachine」を紹介させていただいています。今回は第9部です。)

現在癌を宿して生きている方やその家族の方にとって、旅路の果てに何が起こるのかは考えたくなくても心のどこかにひっかかっている問題ではないでしょうか。他の癌患者さんが最後の日々をどんな風に過ごされたか… それを知るのは怖い、知ったら落ち込んでしまう、と感じる方は本日の投稿をスキップして下さい。欧米の癌終末医療、終末期に至った患者さんの体調や心理状態などを知っておくことが、自ら心の準備をするのに役立つかもしれない(むろんその必要がないのが一番ですが)と感じられる方のみ続きを読んでいただければと思います。

ほぼ4年にわたるDerekさんの治療生活は2010年11月に終わりました。これ以上積極治療を続けても得るものがないという判断でした。それ以降は比較的穏やかな暮らしを続けられたようです。

今日はバーナビー(バンクーバー近郊の小さな市)から在宅看護ナースのPierreが来てくれた… 僕の年齢(41歳)でどんな風に死んでいくか予定を立てる必要のある人間はあまりいないだろう。ほとんどの人は年齢に係わらず全く考えたくないことだと思う。しかし僕の場合、なにぶん近い将来に起こり得るので、家族の負担や僕自身の苦しみを軽減することの方を望んでいる。在宅看護をどこに頼むのが一番いいのかとか、どんな場合は蘇生してほしくないのかとか、いろいろ準備しておかねばならない… 

ここ数十年、ブリティッシュコロンビア州の健康省は死も医療の一部であるという見方で取り組んでいる… 僕の人生はもはや癌の動きを封じたりやっつけようとしたりする段階でなくなってしまったが、死という過程を少しでもコントロールしていきたい。今日はその過程の一部として心休まる経験だった。想像するほど恐ろしくはないのかもしれない。

(2010年12月22日投稿「Helping me prepare to die」より)

癌で死ぬということは毎日少しずつ「生きている」部分が減っていくようなものだ。奇妙に聞こえるかもしれないがそういうものなのだ。例えば6ヶ月前にはウィスラーの山道を歩いたり、シアトルまでドライブに出かけたり、いとこの結婚式で写真を撮りまくったりしていたのに、今ではどれも出来そうにない。でも何時出来なくなったかはっきり覚えていない。最後にやった事のほとんどはそんな風に過ぎていくのかもしれない。以前と同じ調子で何かを行い、もう2度と出来ないと気づくのは後になってからなのだ…

趣味への興味も薄れつつある。音楽のポッドキャストはやらなくなった。体調が悪すぎるし自宅でレコーディングすることが以前ほど面白く感じられなくなったのだ… 大量にカメラやレンズを収集したにもかかわらず写真も撮らなくなった。好きなこと全部をあきらめたわけではないが、体力的にきつくて楽しめなくなったこともある。昔は簡単に持ち歩けたSLRカメラが、本当に重く感じられて運ぶのが大変になったのが一例だ。でも書くことだけはやめない… 

だから僕は自分の出来る事を続ける。一番好きで身体的にも可能な活動を。例え自分の核となる部分まで削られていっても。病と死に直面しているうちに明らかになったのは、実行するのが難しいものや重要度の低いものは消えてゆき、自分が出来る最も大事なものだけが残ることだ。少なくなっていっても僕は僕のままなのだ。

(2011年2月24日投稿「A little less each day」より)

キモを含む積極治療を止めたのは昨年11月だが薬を飲まなくなったのではない。最近追加されたのはリタリンだ。むろん癌で多動性障害になったわけではない。その逆で眠くて元気の出ないことが多い… リタリンが処方されたのはナルコレプシーといった睡眠障害や極度の疲労に効果があるからだ。効いてるみたいだ!朝食の時に服用すると昼寝なしでも大丈夫なことが多い… でも毎日飲んではいけない。週に1日か2日、飲まない日を設けるようドクターに勧められた。でないとだんだん効かなくなり用量を増やさねばならなくなるからだそうだ…

他には制吐剤のドンペリドン、痛み止めのモルヒネ(効き目が長いのと短いのと両方)、下痢止めのイモディウム(あまり効かない)、血液凝固を抑えるフラグミン、熱が出たり節々が痛む時はタイラノールも服用している。

(2011年3月7日投稿「The drugs」より)

あれよあれよという間に、飼い犬ルーシーの散歩といった簡単な用を足すのさえ難しくなった。もうその元気がない。車の運転もできそうにない。家族や友達と外食なんて問題外だ。例えば今朝は、やっとの思いで起き上がりバスローブを身につけスリッパを履き、ルーシーを裏庭に出してやるためにドアを開けに行った。ルーシーについて裏庭に出ようとしたが庭へ続く短い階段の途中で座り込んでしまった。階段を一気に降りる力がなかったのだ…

昨日ファミリードクターに会った折、(終末期の)癌患者を衰弱させる代表的な症状は痛みと疲労感だと言われた。痛みの方は程よくコントロールできている。ドクターから出来るだけ身体を動かし頭も回転させるよう勧められた… あとどれだけ一人で歩けるのだろう。自分でサンドイッチを作れなくなるまで、寝たきりになるまで、あとどの位なんだろう。僕も医師も、誰もその答えを知らないが、その日は来るというのが怖い。

(2011年4月2日投稿「The time will come」より)

医師団は僕の症状を緩和するため色々と手を尽くしている。その一つが先週行った腹腔神経叢ブロックだ。お腹の痛みが大分楽になった。咳は続いているが肺に水が溜まっているからではない。呼吸器の組織を部分的に乾かす薬を寝る前に服用すると多少落ち着く。紙おむつも使っている。両足が浮腫んできたが、腫瘍が大きくなりリンパの循環などを妨げるようになると新陳代謝が崩れて起きるらしい。治療?足を上げた姿勢で寝るのと弾性ストッキングを履くことくらいだ。ぼ〜っとするほど疲れて眠い。リタリンを飲まない日は特にそうだ…

州公式のDNR(蘇生術を行わない)の書類にサインしたので、心臓発作など急変が起きた場合、僕は余命が短く、あらゆる手段を用いて延命処置をする必要のないことを明らかにした。特に集中治療室で人口呼吸器に繋がれるのには全く意味が無い。回復したら長い人生が待っている人に場所を譲るべきだ。

明日はバーナビー病院のナース、Emilyが在宅看護に必要なものは足りているか見にきてくれる。バーナビー病院緩和病棟はとてもいい所だし家からも近いけれどそこに行く気はない。最後の日々を自宅で過ごし自分の部屋で死にたい。それを少しでも楽にするためにバーナビー病院から電動式の介護ベッドを持ってきてくれるらしい。

合理主義的すぎて冷たく聞こえるかもしれないが、自らの死をどんな風に迎えるかを妻と二人で決定できることに満足していると言ってよい… 現時点では特に心配される臓器や身体器官の系統はない。引き金となって急変を起こしそうな要因も見当たらないとドクターは言っている。おそらく少しずつ身体が弱り、眠っている時間が長くなり、最後には機能が停止するのだろう…

(2011年4月14日投稿「On the gravel road」より)

今日、車から家までの短い距離を移動するのにあまりにも苦労したので、これからは担架なしではどこへも行けないとわかった。人生で一番しんどい経験だった。これで僕は家から離れられないばかりか床からも離れられない身となった。
(2011年4月27日投稿「I can speak, but in a squeaky way」より)

これがDerekさんの生前最後の投稿となりました。
(次回に続く)
posted by leo at 12:27| Comment(0) | 本やブログなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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