2011年08月17日

エンドゲーム(penmachineその8)

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(カナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんのブログ「penmachine」を紹介させていただいています。今回は第8部です。)

早期発見→完治という理想コースを辿ることができず、進行、転移、再発してしまった癌の場合、治療を続けることは生き続けることを意味します。少なくとも大部分の人にとってはそうでしょう。そして何時か、あらゆる治療が効かなくなり治療法が尽きてしまう日が来ます。そう頭で理解していても、何時までもその日が来て欲しくない、その日が来るのが怖い、と感じるのが人間だと思います。

4年近く癌と闘ってきたDerekさんにもついにその日がやって来ました。

これからの数年間に世界中で約1億人の人間が命を落とす。老衰、自然死、事故、感染、細菌、毒、戦争、テロ、先天性の欠陥、喧嘩、自殺、天災、医療ミス、暑さや寒さ、不運、暗殺、殺人、そして様々な病気で人は死ぬ。1000万から1500万の人は癌で死ぬ。僕はその1人である…

医師は患者がどの位生きられるかをはっきり言いたがらないので有名だ。それには理由がある。医師が予想した余命は外れることも少なくないからだ。ブリティッシュコロンビア州癌センターの診察室で、僕は妻と一緒にそれを腫瘍内科医のDr. Kenneckeから聞き出した。
「2年後も僕が生きて診察に来ると思いますか?」居ずまい正して尋ねると
「正直なところ、そうなるとは思えません。」とドクターは答えた…

僕の化学療法はもう効いていない。そして4年近く新薬や標準薬で治療してきて試す薬が底をついてしまった。腫瘍は今も肺や腹腔で大きくなっている。僕は医師と相談し、これ以上積極治療をしないと決めた。多分あと1年くらいの命ではないかと思う。

癌が見つかったのは2007年初頭。少なくとも2008年後半から、手術、放射線、キモといった治療が僕の癌を完全に治すことはないだろうと気づいていた。寛解したことは一度もない。僕の癌はゆっくりと、しかし着実に増大し続けてきた。それはCT検査やマーカー値にはっきり現れていた。僕と妻と娘達にとって矢印がどっちに向いているのかは明らかだった。

キモが楽だったことはない… 特に今年の夏以降は酷くて、おそらく癌細胞を効果的に叩くというより正常な細胞の方を痛めつけ、恩恵よりも害が大きかったのではと感じる… ぼくの身体はボロボロで、後どれだけ持ちこたえられるかは誰にもわからない。あまり長いことは持たないだろう。

重要なのは、旅立つ準備を始める時が来た、という事実を受け入れる心構えができたことだ。これはあきらめとは違う。現実から顔を背けないということなんだ。僕が惑わされたり否定したりするタイプでないことは、僕のことを知っている人は皆わかってくれるだろう。

平均寿命が延びるに伴い僕らの社会は死に対処するのが非常に苦手になった。まったく知らない人から、奇跡の治癒をうたう治療法を試せと必死で勧めるメールがしょっちゅう送られてくる。善意からだというのはわかる。しかしそういう人達は、健康だった41歳の男が癌になって死ぬこと、それを止める術がないことをどうしても認めたがらないだけのように思える…

彼らが提案する治療法について調べてみたが効果を示すエビデンスはない。おまけに費用も高額で僕の家族を破産させてしまう。正当な理由もなく僕らの生活をこれ以上かき乱させることはできない…

これからどうなるかは定かでない。癌センターには終末期の患者や家族を助けるチームがあるらしい。やがてもっと強い痛み止めが必要になるだろう。僕の癌は肺に広がっているから補助の酸素も用になるかもしれない…

僕はチェスはやらないが、チェスには「エンドゲーム」という有益なコンセプトがあるそうだ。手持ちの駒が少なくなりゲーム終盤に近づいたら戦略を変えることを指す。僕は自分のエンドゲームにさしかかったところだ。どうなるか少しだけ予測できる。

飼い犬のルーシーは僕よりも長生きするだろう。今年のクリスマスが最後のクリスマスになるかもしれない。来年6月に42歳の誕生日を迎えられるかどうかはわからない。車や眼鏡を買い替えることはもうない。でも最後のミルク、最後のコーヒーは先の話だ。

自分の死に直面するのは容易いことではない。家族や親類にとっては物凄く辛い。家族や親類は余計に辛いかもしれない。僕は死んでしまえばそれまでだけど彼らはその後も生き続けるのだから…

妻と2人の娘とは死について沢山話し合ってきた。これからも話していく。まだ死ぬわけにはいかないが死んでいく準備には取り掛かれる。

さあ進もう。

(2010年11月27日投稿「The endgame」より)

これを読まれて、Derekさんの気持ちがよくわかると感じる方、それ程ドライに割り切れないと感じる方、様々だと思います。私はDerekさんと同様、自分の死を認めることはあきらめとは違うと感じます。Derekさんが治療を止めたのはキモが辛いから逃げたのではありません。癌に耐性がつき薬が効きにくくなったこと、抗がん剤による身体へのダメージが恩恵を上回ようになったこと、Derekさんの癌に効果が期待される薬はもう残っていないこと、言い換えると治療を続けても意味が無い病状に至ったことを理解されたからです。認めたくない事実でも受け入れる強さ、潔さの現われだと思います。

Derekさんはこの時点でも生きる希望を持ち続けておられました。確信はないものの、もう1年くらいは生きていられるかも…と心のどこかで期待されているのが伺われます。残念ながら現実はより厳しく、Derekさんは上記の投稿後5ヶ月あまりで世を去ることになります。

(次回に続く)
posted by leo at 04:17| Comment(0) | 本やブログなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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