2011年09月01日

旅路の果て(penmachineその9)

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(カナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんのブログ「penmachine」を紹介させていただいています。今回は第9部です。)

現在癌を宿して生きている方やその家族の方にとって、旅路の果てに何が起こるのかは考えたくなくても心のどこかにひっかかっている問題ではないでしょうか。他の癌患者さんが最後の日々をどんな風に過ごされたか… それを知るのは怖い、知ったら落ち込んでしまう、と感じる方は本日の投稿をスキップして下さい。欧米の癌終末医療、終末期に至った患者さんの体調や心理状態などを知っておくことが、自ら心の準備をするのに役立つかもしれない(むろんその必要がないのが一番ですが)と感じられる方のみ続きを読んでいただければと思います。

ほぼ4年にわたるDerekさんの治療生活は2010年11月に終わりました。これ以上積極治療を続けても得るものがないという判断でした。それ以降は比較的穏やかな暮らしを続けられたようです。

今日はバーナビー(バンクーバー近郊の小さな市)から在宅看護ナースのPierreが来てくれた… 僕の年齢(41歳)でどんな風に死んでいくか予定を立てる必要のある人間はあまりいないだろう。ほとんどの人は年齢に係わらず全く考えたくないことだと思う。しかし僕の場合、なにぶん近い将来に起こり得るので、家族の負担や僕自身の苦しみを軽減することの方を望んでいる。在宅看護をどこに頼むのが一番いいのかとか、どんな場合は蘇生してほしくないのかとか、いろいろ準備しておかねばならない… 

ここ数十年、ブリティッシュコロンビア州の健康省は死も医療の一部であるという見方で取り組んでいる… 僕の人生はもはや癌の動きを封じたりやっつけようとしたりする段階でなくなってしまったが、死という過程を少しでもコントロールしていきたい。今日はその過程の一部として心休まる経験だった。想像するほど恐ろしくはないのかもしれない。

(2010年12月22日投稿「Helping me prepare to die」より)

癌で死ぬということは毎日少しずつ「生きている」部分が減っていくようなものだ。奇妙に聞こえるかもしれないがそういうものなのだ。例えば6ヶ月前にはウィスラーの山道を歩いたり、シアトルまでドライブに出かけたり、いとこの結婚式で写真を撮りまくったりしていたのに、今ではどれも出来そうにない。でも何時出来なくなったかはっきり覚えていない。最後にやった事のほとんどはそんな風に過ぎていくのかもしれない。以前と同じ調子で何かを行い、もう2度と出来ないと気づくのは後になってからなのだ…

趣味への興味も薄れつつある。音楽のポッドキャストはやらなくなった。体調が悪すぎるし自宅でレコーディングすることが以前ほど面白く感じられなくなったのだ… 大量にカメラやレンズを収集したにもかかわらず写真も撮らなくなった。好きなこと全部をあきらめたわけではないが、体力的にきつくて楽しめなくなったこともある。昔は簡単に持ち歩けたSLRカメラが、本当に重く感じられて運ぶのが大変になったのが一例だ。でも書くことだけはやめない… 

だから僕は自分の出来る事を続ける。一番好きで身体的にも可能な活動を。例え自分の核となる部分まで削られていっても。病と死に直面しているうちに明らかになったのは、実行するのが難しいものや重要度の低いものは消えてゆき、自分が出来る最も大事なものだけが残ることだ。少なくなっていっても僕は僕のままなのだ。

(2011年2月24日投稿「A little less each day」より)

キモを含む積極治療を止めたのは昨年11月だが薬を飲まなくなったのではない。最近追加されたのはリタリンだ。むろん癌で多動性障害になったわけではない。その逆で眠くて元気の出ないことが多い… リタリンが処方されたのはナルコレプシーといった睡眠障害や極度の疲労に効果があるからだ。効いてるみたいだ!朝食の時に服用すると昼寝なしでも大丈夫なことが多い… でも毎日飲んではいけない。週に1日か2日、飲まない日を設けるようドクターに勧められた。でないとだんだん効かなくなり用量を増やさねばならなくなるからだそうだ…

他には制吐剤のドンペリドン、痛み止めのモルヒネ(効き目が長いのと短いのと両方)、下痢止めのイモディウム(あまり効かない)、血液凝固を抑えるフラグミン、熱が出たり節々が痛む時はタイラノールも服用している。

(2011年3月7日投稿「The drugs」より)

あれよあれよという間に、飼い犬ルーシーの散歩といった簡単な用を足すのさえ難しくなった。もうその元気がない。車の運転もできそうにない。家族や友達と外食なんて問題外だ。例えば今朝は、やっとの思いで起き上がりバスローブを身につけスリッパを履き、ルーシーを裏庭に出してやるためにドアを開けに行った。ルーシーについて裏庭に出ようとしたが庭へ続く短い階段の途中で座り込んでしまった。階段を一気に降りる力がなかったのだ…

昨日ファミリードクターに会った折、(終末期の)癌患者を衰弱させる代表的な症状は痛みと疲労感だと言われた。痛みの方は程よくコントロールできている。ドクターから出来るだけ身体を動かし頭も回転させるよう勧められた… あとどれだけ一人で歩けるのだろう。自分でサンドイッチを作れなくなるまで、寝たきりになるまで、あとどの位なんだろう。僕も医師も、誰もその答えを知らないが、その日は来るというのが怖い。

(2011年4月2日投稿「The time will come」より)

医師団は僕の症状を緩和するため色々と手を尽くしている。その一つが先週行った腹腔神経叢ブロックだ。お腹の痛みが大分楽になった。咳は続いているが肺に水が溜まっているからではない。呼吸器の組織を部分的に乾かす薬を寝る前に服用すると多少落ち着く。紙おむつも使っている。両足が浮腫んできたが、腫瘍が大きくなりリンパの循環などを妨げるようになると新陳代謝が崩れて起きるらしい。治療?足を上げた姿勢で寝るのと弾性ストッキングを履くことくらいだ。ぼ〜っとするほど疲れて眠い。リタリンを飲まない日は特にそうだ…

州公式のDNR(蘇生術を行わない)の書類にサインしたので、心臓発作など急変が起きた場合、僕は余命が短く、あらゆる手段を用いて延命処置をする必要のないことを明らかにした。特に集中治療室で人口呼吸器に繋がれるのには全く意味が無い。回復したら長い人生が待っている人に場所を譲るべきだ。

明日はバーナビー病院のナース、Emilyが在宅看護に必要なものは足りているか見にきてくれる。バーナビー病院緩和病棟はとてもいい所だし家からも近いけれどそこに行く気はない。最後の日々を自宅で過ごし自分の部屋で死にたい。それを少しでも楽にするためにバーナビー病院から電動式の介護ベッドを持ってきてくれるらしい。

合理主義的すぎて冷たく聞こえるかもしれないが、自らの死をどんな風に迎えるかを妻と二人で決定できることに満足していると言ってよい… 現時点では特に心配される臓器や身体器官の系統はない。引き金となって急変を起こしそうな要因も見当たらないとドクターは言っている。おそらく少しずつ身体が弱り、眠っている時間が長くなり、最後には機能が停止するのだろう…

(2011年4月14日投稿「On the gravel road」より)

今日、車から家までの短い距離を移動するのにあまりにも苦労したので、これからは担架なしではどこへも行けないとわかった。人生で一番しんどい経験だった。これで僕は家から離れられないばかりか床からも離れられない身となった。
(2011年4月27日投稿「I can speak, but in a squeaky way」より)

これがDerekさんの生前最後の投稿となりました。
(次回に続く)
posted by leo at 12:27| Comment(0) | 本やブログなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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