2009年04月10日

テンション下がり気味の母

イースターです。なぜかイースターには白百合がつきものです。

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私の母は元教員で、定年退職までしっかり働いた人です。家の中のことよりも、仕事や趣味のことで頭が一杯というタイプでした。退職後も踊り(民謡)の指導免許を取ったり、大正琴を習ったり、最近は社交ダンスまで始めて、家でじっとしていることはないようです。

そんなわけで、以前は3ヶ月に1度電話をかけてくればいい方で、私からかけても外出中だったりして、下手をすると半年近く話をする機会がないこともありました。でも最近は毎週のように電話がきます。

私が癌になったことを告げた直後は、「今どき癌で死ぬ人なんていない」とか「ちゃんと治って寿命を全うしてもらわなきゃ困る」と一喝するほど強気だった母ですが、だんだんトーンダウンしてきました。どうやら周りの人から卵巣がんについて色々と話を聞くにつれて、不安が増してしまったようなのです。

母には看護短大の教授をしている妹がいて、その叔母から卵巣がんについて多少専門的な説明をしていただいたようです。また友達の一人が私と同じ卵巣の漿液性腺癌だそうで、その方からも病気の経過や治療の経験談など聞いたようです。

もう年なので、化学治療も放射線も頭の中でごっちゃになって「胸の悪くなるような治療」とひとくくりにしているようです。(当たらずとも遠からずですが…)脳内イメージで、私が寝たきりにでもなっているような姿を思い浮かべているようだったので、誤解を解くのに一苦労でした。また、私が外国で治療を受けていることから「人種差別を受けていないかと心配で眠れない」などと言い出したりして。(これを聞いたときは一瞬目が点になりました。)なわけないでしょ〜、と大笑いしたら少し安心してくれたようです。

母自身は健康そのもの、どころか「健康オタク」と言ってもいいほどです。万歩計できちっと数えて毎日目標とする歩数を歩き、ストレッチも欠かさず、雑穀米を食べ、小松菜と小魚で骨を補強。キャベツが身体にいいと医者に言われると、朝昼晩キャベツを食べ、食事は味よりも栄養価を重視するタイプなのです。100歳くらいまで生きそうな勢いなので、私がそれまでもつかどうか…微妙です。

父母にはもう10年以上会っていません。癌になる前はワーカホリックで仕事優先の毎日でした。

日本に帰るのなら桜の季節がいいなあ、といつも思います。が、今年も逃してしまいました。夏は暑いからな〜。9月は台風が来るし。湿気は苦手だし。などと我がままを言ってる場合ではないのでしょうが… 父母を安心させるには、元気な顔を見せるのが一番なんですよね。

わかってるんです。わかってるんですが、やっぱり遠くて…
posted by leo at 18:07| Comment(3) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月04日

叔母

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父方の叔母で卵巣がんにかかった人がいました。

ずいぶん前の話で記憶があやふやなのですが、その叔母さんが卵巣がんになったのは、母が子宮がんになったのとほぼ同時期だったと思います。その方は結局亡くなられました。

多分私が大学1年くらいの時、入院しているその叔母を、父と一緒にお見舞いに行きました。今振り返ると、叔母の病状はそのとき、「会いたい人には会っておく」段階に達していたのだと思いますが、当時の私には想像もつきませんでした。

ただ、ベッドに横たわる叔母の姿は目に焼きついています。意識ははっきりしており、痛みも何とか抑えられていたのでしょう。普通に会話を楽しんでいる様子の叔母でしたが、とても、とても痩せていました。なんだかもう病院のベッドの一部になってしまったかのようでした。シーツから出ている頭と細い両手だけが、叔母の肉体の存在を弱々しく主張しているかのように感じられました。

私の父母は共稼ぎだったので、私は母方の祖母に育てられました。その祖母が急死したのが、私が17歳の時。そのとき、死というものは、何の前ぶれも無くある日突然訪れるのだ、と知りました。病院で叔母に会ったとき、ゆっくりと潮が満ちるように、人を飲み込んでいく死もあるのだ、と気づきました。

叔母の病気がどういうコースを辿ったのか、詳しい話を聞いたことはありません。が、癌の発見から少なくとも7-8年は生き延びたということから、治療→寛解→再発という、卵巣がんに最も多いパターンだった可能性が高いです。

父も母も、この叔母のことは一切話題にしません。忘れたはずはないので、多分意識的に避けているのだと思います。私としては、同じ病気なので、叔母の病気がどうすすんだのか興味はあるのですが、なんだかタブーのような感じで、どうにも切り出せません。

私もいつの日か、叔母さんと同じようになるのだろうか。そう考えるとやっぱり怖いです。でも、人は誰でもいつかは死ぬもの。永遠に生きる人なんていないんです。いつになるかわからない将来のことで、悩んだり悲しんだりしても、ろくなことはありません。
「今、生きている。」
その素晴らしい事実に常に目を向け、楽しい人生、悔いのない人生を送ることに専念したいです。(悔いの残るようなことは実はもう十分やりましたが… 今後は自重するぞ〜!)


posted by leo at 16:45| Comment(3) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月03日

心配かけてゴメンネ

日本の父と母から電話が来ました。
抗がん剤の2回目がどうだったか気にしていたようです。

両親に癌のことを告げたのは昨年の11月でした。

左卵巣の茎捻転の件は、退院してすぐ電話で知らせたのですが、癌のことはなかなか言い出せなくて。再手術をしてすんなり治るようなら、心配させても仕方がないからと思い、黙って手術を受けました。でもグリグリが出てきて、それが癌とわかった時、いつまでも隠しておくわけにはいかないと感じました。

グリグリの生体検査をした1週間後くらいに、たまたま母が電話をかけてきて、身体の調子をきかれたので、「実は…」と切り出しました。

母はとても落ち着いていました。「そういうこともあるんじゃないかと思っていた」と… 前にも書きましたが、母は40代のとき子宮ガンになっています。だから肝が据わっているというか、癌というものが誰にでも起こりうる病気だ、ということをよく分かっているようです。

ただ世代の違いでしょうか、「とにかく医者の言うとおりにしていれば治る」と思っているようなふしがあります。私のように、納得いかないときは食い下がって、自分に一番合ったオプションを自分で選ぶ、という状況はもうひとつ理解できないようです。

それから、母自身が癌のサバイバーであるためか(30年以上無再発)、私の癌だって治るはずだと考えている様子です。私の方も、癌になったと知ってからも、初めの頃あまり深刻に考えなかったのは、「母が治った」という事実が頭にあったからのように思います。しかし、ステージIAの子宮頸がんの5年生存率は93%くらい。母は治るべくして治ったのだという見方もできます。それにひきかえ、私の癌は、卵巣から子宮、卵管、腹腔そして皮膚の下にまで散らばってしまっているのですから、予後は全く違います。ただそのへんはあまり突っ込まないようにしています。一度説明しようとしたら、「弱気になってる」とか「あきらめてる」というふうに解釈されそうになったので、最近は「しっかり治してもらうんだよ」「は〜い」で会話を締めくくっています。

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父は、もともと小さいことでも気になる性格で、母から私の病気を聞いたときはかなりショックだったようです。眠れなかったと言っていました。カナダに一人でいるより、日本に戻って治療したほうがいいのでは、とも言われました。ただ、カナダの医療保険制度がかなり整っているということと、卵巣がんに関しては日本でドラッグラグの問題などがある点を説明すると、とりあえずカナダで治療を続けることに賛成してくれました。

父は79歳、母は76歳です。二人ともとても元気です。まさか娘が癌になるなんて思ってもみなかったでしょう。どんな切ない気持ちで暮らしているのでしょうか。

カナダに移民してしまっただけでも親不孝なのに、もし私が先に逝くようなことがあれば、さらに輪をかけた親不孝です。癌になったのは私のせいではないけど、やっぱり申し訳ないと思ってしまいます。

二人が生きているうちは私も頑張らなければ、という気持ちで一杯です。

posted by leo at 15:54| Comment(2) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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