2011年09月10日

逝く人の言葉(penmachineその10)

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(カナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんのブログ「penmachine」を紹介させていただいてきました。これが最終回です。)

ついに来た。僕はもうこの世にいない。これがブログの最後の投稿だ。癌に痛めつけられてきた僕の身体。その機能が止まる時が来たら、このメッセージを公開するよう事前に家族と友人に託しておいた… 僕を実生活で知っている人はもう知らせを受けたかもしれないが、この投稿を確認と思ってほしい。僕は1969年6月30日にカナダのバンクーバーで生まれ、2011年5月3日にバーナビーで命を閉じた。41歳。ステージIV転移性大腸がんの合併症による。僕も家族も覚悟していた…

僕はこの世界より良い場所へ行ったわけでも悪い場所に行ったわけでもない。僕はどこにも行っていない。何故ならDerekはもう存在しないのだから。身体的機能および脳神経の活動が止まると同時に、僕は生物から骸へと驚くべき変貌を遂げた。花や野ネズミが霜のおりた特別に寒い晩を越せなかったのに似ている…

だから僕は死の瞬間や死んだ後どうなるか(何も起きない)について恐れたことはない。だが死んでいく過程についてはずっと怖かった。衰弱、疲労、痛み、だんだん自分自身でなくなること。幸運にも僕の知的能力は最後まで病気の影響をまぬがれた…

子供の頃、引き算を習うとすぐに記念すべき西暦2000年に何歳になるか計算した。答えは31歳で随分おじさんになるんだなと感じた。実際に31歳までには結婚して2人の娘を持ち、テクニカルライターとしてコンピューター業界で働いていたから結構おじさんだった。

でもその後も沢山のことが起きた。ブログはまだ始めていなかった。バンドやポッドキャストもまだだった。グーグルは出来たばかりで、アップルは苦戦中で、マイクロソフトは既に巨大で、フェイスブックやツイッターはまだ存在しなかった… ニューヨークにはまだワールドトレードセンターがあって、カナダにはクレティエン首相が、アメリカにはクリントン大統領が、イギリスにはブレア首相がいた… 2000年はいとこが赤ちゃんを産む4年も前だった。もう1人のいとこは何年も後に夫となる男性とめぐり合ったばかりだった… 僕も妻も長期間入院したことはなかった。子供達はまだおむつをしていた… 犬はまだ飼っていなかった。

そして僕は癌ではなかった。癌になるとは、それも10年以内に癌になり、癌で死ぬだろうなどとは思ってもみなかった。

何故こんなことを書くのかって?何時の時点で人生が終わるとしても、自分が死んだ後に見たり聞いたりできないことがあるのは悲しい。だからと言ってその時点までの人生を後悔するわけではないと気づいたからだ。僕は2000年に31歳で死んでいたかもしれない。それでも妻や娘や仕事や趣味に満足して幸せだったろう。たとえその後に起こった多くの出来事を知る術がなかったとしても。

僕のいない世界でこれからも色々なことが起きる。世界がどうなるのか?2012年には?2060年には?どんな新しい発見があるのか?国家や人々はどう変わるのか?通信や交通手段はどうなるのか?誰を尊敬し誰を軽蔑するのか?妻のAirは何をしているのか?娘のMarinaとLaurenは?どんな勉強をしてどんな仕事に就くのか?娘たちも子供を産むのか?孫は?僕の理解を超えるようなことも娘たちの人生に起こるのか?答えはわからない。まだ命があり、この文を書いている僕にとってその場にいられないのが辛い。それを見届けられないからではなく、そばにいて妻や娘たちを助けてあげられないのが悲しいのだ。

人生がどうなるかは誰にもわからない。計画を立てたり、やりたいことをして楽しんだりはできる。しかし自分が思った通りに万事進むとは限らない。思った通りになる時もあるが、そうならない時の方が多い… 僕の病気と死を通じて娘たちにそれを学んでほしい…

世界は、いや、この宇宙全体は美しい、驚きに満ちた素晴らしい場所だ。いつも新しい発見がある。僕は過去を振り返って悔やんだりしない。家族にもそうであってほしい… Lauren、Marina、お前達が大人になって自分の人生を歩む頃、僕がどんなにお前達を愛していたか、良い父親であろうと努力していたかわかるだろう… Airdrie、君は一番の親友で最良のパートナーだった。お互いがいなかったらどうなっていたかわからないが、僕の人生がこんなに満たされることはなかったと思う。心から愛していました。I loved you, I loved you, I loved you.

(2011年5月4日投稿「The last post」より)

逝く人の言葉は常に純粋で心に響きます。

日本では4月にキャンディーズのスーちゃんが乳がんで亡くなられた際、病床で録音した最後のメッセージが公開され、多くの人の胸を打ったと聞きました。

ここカナダでは3週間ほど前に、連邦議会で第一野党の現職党首として活躍されていたJack Laytonさんが癌で急逝され国葬が営まれたばかりです。Laytonさんは死ぬ直前に「Letter to Canadians」という国民への遺書を残されました。その中で同胞のがん患者に対しては次の様に述べています。

癌に打ち勝ち、生きるための長い旅路を辿っている方々へ。私自身の旅が思ったように進まなかったことでどうか気を落とさないで下さい。絶対に希望を失ってはいけません。癌の治療はかつてなかったほど向上しています。良いほうに考え、信念を失わず、将来のことを考え続けて下さい。あとは、どんな場合も愛する人と過ごす時間を大切にして欲しいというのが私のアドバイスです。

そしてこう締めくくられました。

“My friends, love is better than anger. Hope is better than fear. Optimism is better than despair. So let us be loving, hopeful and optimistic. And we’ll change the world.”

怒りより愛すること。恐れることより希望。絶望するより良いほうに考えること。その3つを皆が心がけたら確かに世の中はもっと住みやすくなるのかもしれませんね。
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2011年09月01日

旅路の果て(penmachineその9)

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(カナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんのブログ「penmachine」を紹介させていただいています。今回は第9部です。)

現在癌を宿して生きている方やその家族の方にとって、旅路の果てに何が起こるのかは考えたくなくても心のどこかにひっかかっている問題ではないでしょうか。他の癌患者さんが最後の日々をどんな風に過ごされたか… それを知るのは怖い、知ったら落ち込んでしまう、と感じる方は本日の投稿をスキップして下さい。欧米の癌終末医療、終末期に至った患者さんの体調や心理状態などを知っておくことが、自ら心の準備をするのに役立つかもしれない(むろんその必要がないのが一番ですが)と感じられる方のみ続きを読んでいただければと思います。

ほぼ4年にわたるDerekさんの治療生活は2010年11月に終わりました。これ以上積極治療を続けても得るものがないという判断でした。それ以降は比較的穏やかな暮らしを続けられたようです。

今日はバーナビー(バンクーバー近郊の小さな市)から在宅看護ナースのPierreが来てくれた… 僕の年齢(41歳)でどんな風に死んでいくか予定を立てる必要のある人間はあまりいないだろう。ほとんどの人は年齢に係わらず全く考えたくないことだと思う。しかし僕の場合、なにぶん近い将来に起こり得るので、家族の負担や僕自身の苦しみを軽減することの方を望んでいる。在宅看護をどこに頼むのが一番いいのかとか、どんな場合は蘇生してほしくないのかとか、いろいろ準備しておかねばならない… 

ここ数十年、ブリティッシュコロンビア州の健康省は死も医療の一部であるという見方で取り組んでいる… 僕の人生はもはや癌の動きを封じたりやっつけようとしたりする段階でなくなってしまったが、死という過程を少しでもコントロールしていきたい。今日はその過程の一部として心休まる経験だった。想像するほど恐ろしくはないのかもしれない。

(2010年12月22日投稿「Helping me prepare to die」より)

癌で死ぬということは毎日少しずつ「生きている」部分が減っていくようなものだ。奇妙に聞こえるかもしれないがそういうものなのだ。例えば6ヶ月前にはウィスラーの山道を歩いたり、シアトルまでドライブに出かけたり、いとこの結婚式で写真を撮りまくったりしていたのに、今ではどれも出来そうにない。でも何時出来なくなったかはっきり覚えていない。最後にやった事のほとんどはそんな風に過ぎていくのかもしれない。以前と同じ調子で何かを行い、もう2度と出来ないと気づくのは後になってからなのだ…

趣味への興味も薄れつつある。音楽のポッドキャストはやらなくなった。体調が悪すぎるし自宅でレコーディングすることが以前ほど面白く感じられなくなったのだ… 大量にカメラやレンズを収集したにもかかわらず写真も撮らなくなった。好きなこと全部をあきらめたわけではないが、体力的にきつくて楽しめなくなったこともある。昔は簡単に持ち歩けたSLRカメラが、本当に重く感じられて運ぶのが大変になったのが一例だ。でも書くことだけはやめない… 

だから僕は自分の出来る事を続ける。一番好きで身体的にも可能な活動を。例え自分の核となる部分まで削られていっても。病と死に直面しているうちに明らかになったのは、実行するのが難しいものや重要度の低いものは消えてゆき、自分が出来る最も大事なものだけが残ることだ。少なくなっていっても僕は僕のままなのだ。

(2011年2月24日投稿「A little less each day」より)

キモを含む積極治療を止めたのは昨年11月だが薬を飲まなくなったのではない。最近追加されたのはリタリンだ。むろん癌で多動性障害になったわけではない。その逆で眠くて元気の出ないことが多い… リタリンが処方されたのはナルコレプシーといった睡眠障害や極度の疲労に効果があるからだ。効いてるみたいだ!朝食の時に服用すると昼寝なしでも大丈夫なことが多い… でも毎日飲んではいけない。週に1日か2日、飲まない日を設けるようドクターに勧められた。でないとだんだん効かなくなり用量を増やさねばならなくなるからだそうだ…

他には制吐剤のドンペリドン、痛み止めのモルヒネ(効き目が長いのと短いのと両方)、下痢止めのイモディウム(あまり効かない)、血液凝固を抑えるフラグミン、熱が出たり節々が痛む時はタイラノールも服用している。

(2011年3月7日投稿「The drugs」より)

あれよあれよという間に、飼い犬ルーシーの散歩といった簡単な用を足すのさえ難しくなった。もうその元気がない。車の運転もできそうにない。家族や友達と外食なんて問題外だ。例えば今朝は、やっとの思いで起き上がりバスローブを身につけスリッパを履き、ルーシーを裏庭に出してやるためにドアを開けに行った。ルーシーについて裏庭に出ようとしたが庭へ続く短い階段の途中で座り込んでしまった。階段を一気に降りる力がなかったのだ…

昨日ファミリードクターに会った折、(終末期の)癌患者を衰弱させる代表的な症状は痛みと疲労感だと言われた。痛みの方は程よくコントロールできている。ドクターから出来るだけ身体を動かし頭も回転させるよう勧められた… あとどれだけ一人で歩けるのだろう。自分でサンドイッチを作れなくなるまで、寝たきりになるまで、あとどの位なんだろう。僕も医師も、誰もその答えを知らないが、その日は来るというのが怖い。

(2011年4月2日投稿「The time will come」より)

医師団は僕の症状を緩和するため色々と手を尽くしている。その一つが先週行った腹腔神経叢ブロックだ。お腹の痛みが大分楽になった。咳は続いているが肺に水が溜まっているからではない。呼吸器の組織を部分的に乾かす薬を寝る前に服用すると多少落ち着く。紙おむつも使っている。両足が浮腫んできたが、腫瘍が大きくなりリンパの循環などを妨げるようになると新陳代謝が崩れて起きるらしい。治療?足を上げた姿勢で寝るのと弾性ストッキングを履くことくらいだ。ぼ〜っとするほど疲れて眠い。リタリンを飲まない日は特にそうだ…

州公式のDNR(蘇生術を行わない)の書類にサインしたので、心臓発作など急変が起きた場合、僕は余命が短く、あらゆる手段を用いて延命処置をする必要のないことを明らかにした。特に集中治療室で人口呼吸器に繋がれるのには全く意味が無い。回復したら長い人生が待っている人に場所を譲るべきだ。

明日はバーナビー病院のナース、Emilyが在宅看護に必要なものは足りているか見にきてくれる。バーナビー病院緩和病棟はとてもいい所だし家からも近いけれどそこに行く気はない。最後の日々を自宅で過ごし自分の部屋で死にたい。それを少しでも楽にするためにバーナビー病院から電動式の介護ベッドを持ってきてくれるらしい。

合理主義的すぎて冷たく聞こえるかもしれないが、自らの死をどんな風に迎えるかを妻と二人で決定できることに満足していると言ってよい… 現時点では特に心配される臓器や身体器官の系統はない。引き金となって急変を起こしそうな要因も見当たらないとドクターは言っている。おそらく少しずつ身体が弱り、眠っている時間が長くなり、最後には機能が停止するのだろう…

(2011年4月14日投稿「On the gravel road」より)

今日、車から家までの短い距離を移動するのにあまりにも苦労したので、これからは担架なしではどこへも行けないとわかった。人生で一番しんどい経験だった。これで僕は家から離れられないばかりか床からも離れられない身となった。
(2011年4月27日投稿「I can speak, but in a squeaky way」より)

これがDerekさんの生前最後の投稿となりました。
(次回に続く)
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2011年08月17日

エンドゲーム(penmachineその8)

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(カナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんのブログ「penmachine」を紹介させていただいています。今回は第8部です。)

早期発見→完治という理想コースを辿ることができず、進行、転移、再発してしまった癌の場合、治療を続けることは生き続けることを意味します。少なくとも大部分の人にとってはそうでしょう。そして何時か、あらゆる治療が効かなくなり治療法が尽きてしまう日が来ます。そう頭で理解していても、何時までもその日が来て欲しくない、その日が来るのが怖い、と感じるのが人間だと思います。

4年近く癌と闘ってきたDerekさんにもついにその日がやって来ました。

これからの数年間に世界中で約1億人の人間が命を落とす。老衰、自然死、事故、感染、細菌、毒、戦争、テロ、先天性の欠陥、喧嘩、自殺、天災、医療ミス、暑さや寒さ、不運、暗殺、殺人、そして様々な病気で人は死ぬ。1000万から1500万の人は癌で死ぬ。僕はその1人である…

医師は患者がどの位生きられるかをはっきり言いたがらないので有名だ。それには理由がある。医師が予想した余命は外れることも少なくないからだ。ブリティッシュコロンビア州癌センターの診察室で、僕は妻と一緒にそれを腫瘍内科医のDr. Kenneckeから聞き出した。
「2年後も僕が生きて診察に来ると思いますか?」居ずまい正して尋ねると
「正直なところ、そうなるとは思えません。」とドクターは答えた…

僕の化学療法はもう効いていない。そして4年近く新薬や標準薬で治療してきて試す薬が底をついてしまった。腫瘍は今も肺や腹腔で大きくなっている。僕は医師と相談し、これ以上積極治療をしないと決めた。多分あと1年くらいの命ではないかと思う。

癌が見つかったのは2007年初頭。少なくとも2008年後半から、手術、放射線、キモといった治療が僕の癌を完全に治すことはないだろうと気づいていた。寛解したことは一度もない。僕の癌はゆっくりと、しかし着実に増大し続けてきた。それはCT検査やマーカー値にはっきり現れていた。僕と妻と娘達にとって矢印がどっちに向いているのかは明らかだった。

キモが楽だったことはない… 特に今年の夏以降は酷くて、おそらく癌細胞を効果的に叩くというより正常な細胞の方を痛めつけ、恩恵よりも害が大きかったのではと感じる… ぼくの身体はボロボロで、後どれだけ持ちこたえられるかは誰にもわからない。あまり長いことは持たないだろう。

重要なのは、旅立つ準備を始める時が来た、という事実を受け入れる心構えができたことだ。これはあきらめとは違う。現実から顔を背けないということなんだ。僕が惑わされたり否定したりするタイプでないことは、僕のことを知っている人は皆わかってくれるだろう。

平均寿命が延びるに伴い僕らの社会は死に対処するのが非常に苦手になった。まったく知らない人から、奇跡の治癒をうたう治療法を試せと必死で勧めるメールがしょっちゅう送られてくる。善意からだというのはわかる。しかしそういう人達は、健康だった41歳の男が癌になって死ぬこと、それを止める術がないことをどうしても認めたがらないだけのように思える…

彼らが提案する治療法について調べてみたが効果を示すエビデンスはない。おまけに費用も高額で僕の家族を破産させてしまう。正当な理由もなく僕らの生活をこれ以上かき乱させることはできない…

これからどうなるかは定かでない。癌センターには終末期の患者や家族を助けるチームがあるらしい。やがてもっと強い痛み止めが必要になるだろう。僕の癌は肺に広がっているから補助の酸素も用になるかもしれない…

僕はチェスはやらないが、チェスには「エンドゲーム」という有益なコンセプトがあるそうだ。手持ちの駒が少なくなりゲーム終盤に近づいたら戦略を変えることを指す。僕は自分のエンドゲームにさしかかったところだ。どうなるか少しだけ予測できる。

飼い犬のルーシーは僕よりも長生きするだろう。今年のクリスマスが最後のクリスマスになるかもしれない。来年6月に42歳の誕生日を迎えられるかどうかはわからない。車や眼鏡を買い替えることはもうない。でも最後のミルク、最後のコーヒーは先の話だ。

自分の死に直面するのは容易いことではない。家族や親類にとっては物凄く辛い。家族や親類は余計に辛いかもしれない。僕は死んでしまえばそれまでだけど彼らはその後も生き続けるのだから…

妻と2人の娘とは死について沢山話し合ってきた。これからも話していく。まだ死ぬわけにはいかないが死んでいく準備には取り掛かれる。

さあ進もう。

(2010年11月27日投稿「The endgame」より)

これを読まれて、Derekさんの気持ちがよくわかると感じる方、それ程ドライに割り切れないと感じる方、様々だと思います。私はDerekさんと同様、自分の死を認めることはあきらめとは違うと感じます。Derekさんが治療を止めたのはキモが辛いから逃げたのではありません。癌に耐性がつき薬が効きにくくなったこと、抗がん剤による身体へのダメージが恩恵を上回ようになったこと、Derekさんの癌に効果が期待される薬はもう残っていないこと、言い換えると治療を続けても意味が無い病状に至ったことを理解されたからです。認めたくない事実でも受け入れる強さ、潔さの現われだと思います。

Derekさんはこの時点でも生きる希望を持ち続けておられました。確信はないものの、もう1年くらいは生きていられるかも…と心のどこかで期待されているのが伺われます。残念ながら現実はより厳しく、Derekさんは上記の投稿後5ヶ月あまりで世を去ることになります。

(次回に続く)
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2011年08月04日

新薬の活躍、標準薬の貫禄(penmachineその7)

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(カナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんのブログ「penmachine」を紹介させていただいています。今回は第7部です。)

Derekさんが一か八かのフェーズI治験で試すことになったCediranib(商品名Recentin)は、大腸がんに対してある程度の効き目を示した薬のようです。しかし、その後実施されたフェーズIIIの治験(進行・転移した大腸がん対象、FOLFOX+アバスチンとFOLFOX+Cediranibの直接比較)ではアバスチンに破れ、製薬会社のアストラゼネカは米国でのファーストライン用の承認申請を断念してしまいました。

いわゆるエビデンスの微妙な点は統計に頼らざるを得ないところなのかもしれません。新しい薬は、統計的に有意な差をつけて既存の治療薬に勝っていると示さなければ承認にこぎつけません。中には薬効より有害事象のリスクの方が高い薬もあるでしょうが、そこそこ効くのだが全体的に既存薬には一歩及ばなかったという場合、人によってはその薬の恩恵をかなり得る可能性もないとは言い切れません。

ファーストラインでこそありませんでしたが、Cediranib はDerekさんの癌の動きを1年近く最小限に留めることに成功しました。まさにグッドジョブでした。飲み薬なので点滴に通う必要はありません。分子標的薬なので殺細胞系の抗がん剤と比べれば副作用もマイルドです。(むろん若干ですが。)

Cediranib の副作用は普通の抗がん剤の副作用とは異なる… 腸に来る。いつ来るか予測するのが難しい… 家族はこの症状を「う○こ祭り」と呼ぶようになった。始まると1〜2時間トイレを占領。或いはトイレから戻って来るなり再び直行の繰り返し。時々「ジュラシックな内臓」になって、僕のお腹はスピルバーグの恐竜が唸るような音を立てる。それだけガスが溜まると結構痛かったりする。
(2009年1月31日投稿「Cancer update」より)

CT検査の結果、癌は安定しているとわかった。2回連続だ。この薬(Cediranib)でしばらく持つかもしれない。

にしてもどうにかならないのかね。副作用。1時間半トイレにいてやっとベッドに戻ってきたところだ。生きる為に払わなくてはならない代償なんだろうな。

(2009年6月9日投稿「Keep on keeping’ on」より)

という具合に、決して快調ではないにしろ検査の結果に胸を撫でおろしながら、家族と過ごす時間の幸せをかみしめて暮らすDerekさんでした。そしてそれは2009年11月下旬、新たな腫瘍が肺に見つかるまで続きました。9月のCT画像には写っておらず11月に突如現れた数個のニューフェイスは、既に2〜3センチの急成長を遂げるほど勢いづいていました。転移の拡大が見られたことでCediranibはお役御免となり、標準的な抗がん剤を使ったより積極的な治療に戻ることが決まりました。

急成長する癌なんて僕の体内にあって欲しい筈がない。でも全く驚きだと言うわけでもない。癌というのはこういうものなのだ。治療が功を奏する。良くなったり悪くなったりする。治療が効かなくなることもある。いつだって戦いだ。負けるかもしれない。

妻も子供も両親も友達も、みんな悲しい思いをしている。僕の頭の中では色々なことが渦巻いている。また未知の未来に足を踏み入れる時が来たのだ。
(2009年11月27日投稿「Oh fuck」より)

頭で理解していたとはいえDerekさんのショックはさぞ大きかったでしょう。次のキモはFOLFOX(5FU+ロイコボリン+オキサリプラチン)。どれも以前使った薬ですが5FUを増量しての再投与です。当然副作用も倍増しますが、ベテラン癌患者となったDerekさんにとって吐き気や疲労感は想定内だったようです。ただ思ってもみなかった副作用も起きました。

- 皮膚が寒気に対して非常に敏感になった。完全に防寒準備をして出かけても戻ってくると指先や鼻が凍傷寸前になっている。
- 冷たい飲み物が飲めなくなった。冷たいオレンジジュースを飲むと粒々が入ってなくても入っているように感じて口や喉が痛い。
- 指の関節が乾いて黒ずんでいる。爪にも茶色い線が浮いている。
- 傷の治りが異常に遅い。
- 治療の合間でも吐き気に襲われる。突然嘔吐してしまうのでコントロールできない。
- 足の裏が超敏感になって水ぶくれでもできているのかと感じる程。寝る時も靴下を履いて寝なくてはならない。

(2010年1月8日投稿「A funny thing happened to me on the way to chemo ward」より)

一方、良い知らせもありました。長年の実績がある標準治療のレジメンというのはやはり最も効果的なのか、はたまた5FUを高用量にしたのが決め手となったのかはわかりません。が、アグレッシブな治療によりDerekさんの肺の腫瘍は少し小さくなったのです。今まで色々な薬を試してきて癌の増大を抑制するのが精一杯だったのに、ここにきて初めて縮小。非常に客観的に現状分析する能力をお持ちのDerekさんの心中では、期待しすぎてはいけないという気持ちと、もしかしたらという気持ちがかわるがわる頭をもたげました。つくづく病気は残酷です。

2ヶ月前のCT検査で、癌患者歴3年めにして初めて腫瘍の縮小が確認された。でも「僕はまだ癌なんだ。僕の胸には癌が広がっていて、それが少し減っただけなんだ」と自分を戒めていた。1回の検査では何とも言えない。でも2回続いたら傾向と言えるかもしれない。最新のCTで癌が更に小さくなっていることがわかった…

これは寛解ではない。治癒でもない。元気になったわけでもない… 多分もうしばらく生きていられるだろうということを意味しているにすぎない。生き続けることが僕の現実的な希望なんだ。
(2010年4月22日投稿「Tumours still shrinking」より)

残念ながら縮小傾向は長くは続かず、2010年7月のCTで癌はまた大きくなっていました。

気落ちしたが打ちひしがれたというほどではない… ドクターは今のキモはもう効いていないと見ている。抗生物質が耐性菌に効かなくなるように抗がん剤も長く使っているとだんだん効果がなくなるのだ… ガクッとするニュースだが過去数年間に何度も経験してきたことだ。どの薬を何回使ったのか思い出せないくらいだ。僕にとっては深刻な危機というより落ち込む出来事という感じだ。家族の方が辛いだろう。

薬の変更にはいい点もある。僕の身体がFOLFOXから回復するまで次の治療を待つようドクターが勧めてくれたことだ。9月の初めまで6週間の休薬期間。副作用で寝込むことなく夏を楽しめる… 1日1日を必死で生きてる身にとって、世界一美しい街(バンクーバー)で過ごす6週間の夏休みと体調の改善は予期せぬボーナスだ。
(2010年7月29日投稿「Tumours growing again」より)

Derekさんは休薬後もう一度FORFILIによる治療を受けました。

そしてそれがDerekさんにとって最後の化学療法となりました。

(次回に続く)
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2011年07月25日

統合医療と治験(penmachineその6)

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(カナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんのブログ「penmachine」を紹介させていただいています。今回は第6部です。)

癌の診断を下されてから2年近く、検査、手術、放射線、抗がん剤とDerekさんはハードスケジュールをこなしてきました。心の底に「一日も早く癌を治して普通の生活に戻りたい」という希望を持ち続けてきました。しかし、冷静に現実を分析し「癌と共生しながら一日でも長く生きる」に目標を修正。それに伴い、今まで以上にQOLを重視するようになりました。

そんな折、Derekさんは妻のAirさんと一緒に市内のInspireHealthという統合医療センターに足を運びました。統合医療については興味のある方も多いかと思いますので少し詳しく書いておきます。

InspireHealthは、カナダで唯一の州政府お墨付きのNPO統合医療施設で、州の癌センターとも協力関係にあります。目指すのはあくまでも統合医療であり代替医療ではありません。言い換えると、癌の標準治療に代わる治療法を提供するのではなく、標準治療でカバーしきれない部分を補う役割を負っているのです。標準治療は癌という患者の身体の一部分に焦点を絞っており、全体的な健康状態、精神状態、生活習慣などにはなかなか手が回りません。癌を殺すためには他の部分がある程度犠牲になっても致し方ないと考えているふしがあります。対して、InspireHealthは癌を宿しながらも出来るだけ元気に生きていくための土壌作りを手伝ってくれる場所と言えます。寛解中の人の場合は、再発の可能性や不安感を少しでも軽減するのが目的です。

具体的には、専属医師との90分間の面談による全体的な健康状態の診断(州の健康保険適応)。必要と判断されればビタミン等サプリの処方や生活習慣の改善についてのアドバイスも頂けます。その他、料理教室、瞑想、ヨガ、リラクゼーションなどのクラスも有り、これらの費用も州の健康保健でカバーされます。また週に1回Fireside Chat(無料)というのが開かれ、統合医療に興味を持っている人を対象に、専属医師がInspireHealthのプログラムについての質問に直接答えて下さいます。病院の診察室で行われる医師との面談は、ともすれば堅苦しく事務的な雰囲気になりがちです。Fireside Chatは、暖炉の周りで仲良く談笑するような暖かく親しみやすい雰囲気の中で、患者が医師に自由に質問できる場となっています。

その他、LIFEプログラムと呼ばれる2日間のワークショップがあり、こちらは自費(445カナダドル)での参加となります。講習内容は、基本となる健康的な心と身体作り、ストレス軽減、食事と運動、治療方針に関する意思決定、統合医療の分野における最新研究結果などを含みます。更に、マッサージや鍼、ナチュロパス(自然療法医)や栄養士によるカウンセリングなども希望すれば随時受けられるようなっています。(栄養士のカウンセリングは州保健適応、それ以外は自費)ちなみにInspireHealthの運営費用の大部分は、州政府からの補助及び企業や個人からの寄付から成り立っているそうです。

DerekさんはInspireHealthの感想を次のように記しています。

つい最近まで僕は治療に対して極めて受動的だった。癌を撃退するために医師がぶつけてくるどんな治療でも受け入れ、それに伴う痛みや苦しみに耐えてきた…研究途上の薬を使うようになった今、治療の恩恵と治療による損失を量りにかけなければならない。InspireHealthは、その複雑な意思決定をしていく上で助けとなるばかりでなく、健康的な食事をし、身体を動かし、効果的にリラックスする方法を教えてくれる。

医師からの勧めでビタミンやサプリも取りはじめた。我が家の食卓にはオーガニックや無加工の食品が並ぶようになり家族全員の健康推進に役立ちそうだ。寒い日でも早足で散歩するようにしている。コーヒーの代わりに飲みはじめた野菜ジュースはビックリするほど美味しい。

InspireHealthは建物全体が普通の病院とは異なる感じだ。インテリアはナチュラルカラーで照明は柔らかく、ピリピリした所がなくてリラックスできる。ガチガチ理数系の合理主義者である僕からすると、ちょっとニューエージ風だなぁという印象である。

でも効果はある。バンクーバーに住む全ての癌患者にお勧めだ。

(2008年12月2日投稿「Taking charge of cancer treatment」より)

一方、治療の方にも進展がありました。フェーズIの治験参加に躊躇していたDerekさんでしたが、腫瘍内科医の熱意のこもった説明により気が変わり、結局その実験薬を試すことになりました。薬の名前はCediranib。卵巣がんへの薬効も期待されている分子標的薬でフェーズIIIの治験が行われている最中です。(以前「Bで終わる薬」という投稿の中でちょろっと紹介しました。)

飲み薬で一日一錠を服用すればいいだけという手軽さ。また殺細胞系の抗がん剤と比較すれば副作用がマイルド。数ヶ月前に使って効かなかったPanitumumabよりは成功する見込みが大きい。といった点がDerekさんの心を動かしたようです。

治験。しかもフェーズIと聞くと、副作用の程度を調べるだけの実験台にされるのではないか尻込みする方も多いでしょう。私自身もフェーズIの治験に参加する勇気があるかどうか甚だ疑問です。大きな賭けであることに間違いないでしょう。

そしてDerekさんは賭けに勝ちました。一日一錠のCediranibがDerekさんの癌の動きを1年近く鈍らせたのです。

(次回に続く)
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2011年07月19日

癌と共に生きる決意(penmachineその5)

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(カナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんのブログ「penmachine」を紹介させていただいています。今回は第5部です。)

2007年10月から2008年5月まで8ヶ月(16回)に渡るFOLFIRI+アバスチン。にも係わらず縮小の兆しが見えぬ肺転移の癌。厳しい状況が続く中、暫しの休薬期間にほっと一息つくDerekさんでした。

2008年7月。新たな治験への参加が決まり治療が再開しました。今度の治験はIrinotecanとPanitumumab(商品名Vectibix)の併用療法です。イリノテカンは日本の癌患者さんには馴染みのある薬かと思います。Panitumumabはアービタックス(Cetuximab)と似た分子標的薬で、アービタックスと同じく上皮成長因子受容体(EGFR)の働きを阻害します。代表的な副作用は発疹など皮膚の障害です。Derekさんにも湿疹とニキビのような吹き出物が投薬後数日で現れ、顔が真っ赤に腫れあがりヒリヒリ痛む有様でした。幸い症状は2〜3日で沈静しはじめ、2回目の点滴後は副作用の出方もマイルドになって、肩や胸、背中を湿疹に覆われながらも顔は比較的無事だったようです。

しかし残念ながらIrinotecanとPanitumumabの組み合わせは効果を発揮しませんでした。9月に撮ったCT画像で腫瘍の増大が認められ、治療は急遽打ち切りになってしまいました。次の化学療法をどうするのか。治療方針の決定を待つ間に、Derekさんはストーマ(イレオストミー)を取り除く手術を受けました。ストーマは2007年7月の直腸切除手術の際に臨時増設されたもので、手術の傷が癒えた大腸の配管工事をやり直してもらった次第です。

治療生活が長引くにつれ様々な思いがDerekさんの心をよぎります。

ここ数日、カメラの三脚を家中探し回っている… 1メートル位で大きな緑のナイロン袋に入っている。簡単に失くすようなものではないのに… 何かをしようと思った直後に忘れてしまうことも珍しくない。ゴミを外に出すとか図書館へ本を返却するとか… 年のせいにすることもできるかもしれないが僕はまだ38歳だ。妻はこの状態を「キモブレイン(化学療法に伴う認知障害)」と呼び、抗がん剤の投与を受けた患者の間では良く知られた障害なのだと教えてくれた。
(2008年6月12日投稿「Chemo brain」より)

最後に癌の症状を感じてから1年以上経っていることに気づいた。2007年の手術で直腸の腫瘍は切除されて肺に転移した小さな癌だけとなった。

明らかに良くない状態だ。その癌が大きくなっているのだからなおさらだ。でも症状は全くない。自転車に乗ったり登山をしたりして肺を酷使しても問題ない。以前より身体が弱くなって常に疲労感がつきまとっているが、そうした不快感は手術や抗がん剤、その他いろいろな薬の副作用からきている。

今日も一日中ベッドに横たわったまま過ごした。グッタリして吐き気がして。でもそれは癌のせいではなく薬のせいだ。必要なこと、無しにはすまないことなのだろうが奇妙な感じがする。

(2008年8月14日「The cure and the disease」より)

数日前に妻と話し合った… 妻は癌になってから僕の心中にあることを見抜いていた。僕は医師が勧めるどんな治療法でも試して癌と闘ってきた。そのためにどんなに具合が悪くなっても、それらの武器のどれかが癌を退治して人生を前に進める日が来ると望み続けてきた。僕の人生は病と闘うために一時停止状態なのだと考えていた。普通の生活を再開する前に通り抜けねばならない段階であるかのように扱ってきたのだ。

ところが現実はそうではなかった。次の治療プランはフェーズIの治験だ。新薬の初期の臨床試験で、その薬が癌に効くかどうか調べるというより、血液検査の結果や副作用など患者がどう反応するかを調べる治験だ。言い換えると、標準的な治療法の種がつきて実験的な治療法に手を出そうとしているということだ。成功するチャンスは小さく、それでも副作用だけはあるだろう。

妻は僕の目を「癌と共にどう生きていくのか」という問題に向けさせてくれた。何故ならそれがこれからの僕の人生なのだから。どれだけ続くかわからない。何ヶ月か…確実に。何年か…多分。全ての兆候から察するに、僕は残る人生の間ずっと癌である。恐らくいつの日か癌で死ぬのだろう。

にもかかわらず9月に最後のキモを止めて以来、体調は絶好調だ。だから今まで苦しかった原因の大部分は病気のせいではなく治療のせいだったのだ。癌と闘うために必要な苦しみだと思ってきたけれど、今こそ重要な決断をする時だろう。

…昨日治験の話を聞いた際、無意識のうちに自分は参加するだろうと考えていた。だが乏しくなったメニューから医師が出してくるものを何でも受け入れるというのは惰性のようなものだ。僕は人生で行きたい所もやりたい事もある。夫であり父親でありたい…

勝てない戦を戦って人生を無駄にすべきではないのかもしれない。一時停止はもうやめて生きたいように生きよう。

(2008年10月28日「To fight, or to live」より)

治る見込みのない癌を宿した患者の多くが思い悩む問題です。癌と共に生きる覚悟をしても感情的にそう易々とは割り切れません。Derekさんの心の中では葛藤が続きました。

(次回に続く)
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2011年07月07日

しんどかった手術、いつまでも続く抗がん剤(penmachineその4)

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(カナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんのブログ「penmachine」を紹介させていただいています。今回は第4部です。)

術前抗がん剤と放射線治療の効果が残念ながら上がらなかったDerekさんでしたが、それでも手術は決行されました。直腸にできた癌を取り去るため、直腸は全て、加えて大腸下部も切除する大きな手術です。良い執刀医に恵まれ肛門や腎臓は切らずに済みましたが、大腸の傷が癒えるまでの間はストーマ(イレオストミー)に頼る生活となりました。

話は遡りますが、2006年にDerekさんの体調が悪くなり始めた頃、主治医が癌と疑わなかった理由の一つはDerekさんの体重に変化が無かったからでした。ところが癌と診断されてからDerekさんはみるみる痩せ始めました。何度も繰り返される検査。その度に絶食したり下剤を飲んだり。そして抗がん剤と放射線。手術前の6ヶ月で11キロ、手術前後の絶食でさらに7キロ近く体重が落ちました。さらに手術後しばらくして閉塞が起きてしまい食事を取ることが出来ず、ますます痩せてトータルで7ヶ月間に23.5キロ減!と骨と皮状態になってしまいました。元凶はもちろん癌ですが、直接の原因は検査や治療でここまで痩せてしまわれたのがとても切ないです。

そんな状態でも前向きな態度を失わないDerekさんは、一日も早く回復して化学療法を再開することを望んでおられました。

今日は娘と犬を連れて4区画散歩できた。杖も車椅子も使わずにだ。家に帰ってきた時は疲れたけど、僕は歩けた。痛みは少しずつ減っている。次のキモを始められる日も近いかもしれない。7キロ近く太って、元の体重には程遠いけどまあ安心した… でも重い疲労感は変わらない。昨日は車を運転して病院に行き、ついでに外食してきたのだが、その後疲れ果てて4時間も眠ってしまった。今日は子供をマクドナルドに連れて行った後1時間横にならなければならなかった… 小さな角ながら角を曲がっているなぁと感じる。2〜3週間後には娘達を学校に連れて行けるようになるだろう。それがゴールだ。
(2007年8月23日投稿「Turning the corner」より)

化学療法は2007年10月に再開しました。Derekさんの場合、再発予防のキモではありません。直腸の癌は手術で切除したものの、肺に転移した分は手付かずです。肺の癌が縮小してなくならない限り化学療法は続く見込みでした。その第一弾はFOLFIRI(5-FU+ロイコボリン+イリノテカン)にアバスチンを加えたレジメンです。Derekさんはポートと希望を胸に埋め込んで治療を始めました。

往々にしてあることですが、初めの頃はそれ程強い副作用は出なかったようです。投薬後2〜3日は若干吐き気を感じる。しゃっくりやくしゃみが頻発する。常に鼻水が出る。また温度に対して普段より敏感になり、熱いシャワーはより熱く、冷たい飲み物はより冷たく感じるようになったくらいでした。3ヶ月後のCT検査によると肺の癌は安定状態(SD)。なくなってはくれませんが少なくとも大きくなっていませんでした。しかしアバスチンの副作用か肺に凝血が見つかりました。

そしてFOLFIRI開始から6ヶ月経った2008年3月。目安として6ヶ月続く予定だったFOLFIRIを延長すると医師から告げられました。

がっかりしたけどすごくビックリしたわけではない。CTの結果で肺の凝血はなくなったし、腫瘍も大きくなっていないことがわかったから。でもキモをしてると足止めされる。早く終わらせて身体を休め、再手術して大腸と肛門を繋いでもらってストーマ生活を終わらせたい。でもそうすることで癌が勢いづいてしまう危険がある。勿論そうなっては欲しくない。

ということは今年の予定を修正しなくてはならない。パートや在宅でもいいから何時仕事を再開できるのか?わからない。夏に家族で旅行に行けるのか?多分。キモが効果を上げて癌が最後には縮小してくれるのか?祈るのみ。

この5ヶ月間のどっちつかずの状態が終わってくれるのを待っていた。投薬とその後数日間のうんざりする副作用。普通に近い暮らしを2週間してまた投薬。髪は薄くなってきてめっきり白髪が増えた。指は乾いて変色している。鼻をかむと鼻水がピンクがかっている。でも終わってくれない。まぁいいや、としか言いようがない。

(2008年3月13日投稿「Chemotherapy will last longer than I expected」より)

ついに記念すべき日が来た。抗がん剤について誰もが語ることだ。

昨日12回目のFOLFIRIをやった後、夕食を全部吐いてしまった。癌の治療を始めてから嘔吐したことはこれまでにもあったが、キモのせいで吐いたのはこれが初めてだ。

全体的にみると抗がん剤の副作用は思ったほど重くないけれど、キモというのはゆっくりと杭で打ちつけられるのに似ている。数週間に一遍打ち付けられる。自分は割とすぐ回復している方だろうが、打ち付けられるたびに徐々に沈んでいく気がする。

だけど今、妻が夕食の準備をしている。子供達のためにカップケーキを焼いている。今日は吐かないぞと思う。これは進歩だ。

(2008年3月28日投稿「Dubious milestones」より)

腫瘍内科医に会う時は期待しすぎないようにしている。現実的に考えて、肺の腫瘍が少し大きくなったか、少し小さくなったか、同じ大きさか…そんなものだと思って行く。奇跡的になくなったとか劇的に大きくなったとかは考えないようにしている。

そしてそれが僕の実際の状況だ…キモは肺の腫瘍を消去することはないものの増大を食い止めているようだ。FOLFIRIはあと2回、15回と16回目をやったら終了だ。やっと治療が休みになる。6月いっぱい休んでその後運が良ければ新しい治験に参加する。アバスチンよりもっと新しい分子標的薬だ。抗がん剤の効き目を増幅してくれるかもしれない。

キモの副作用から解放されるのはうれしい。週末に家族とビクトリアにでも行こうか。楽しいことがあったら何でもやろう。

(2008年5月6日投稿「More of the same」より)

抗がん剤で治療をして、しばらく休薬して、その後また化学療法。それがDerekさんの日常となりつつありました。

(次回に続く)
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2011年06月30日

頑張った甲斐も無く(penmachineその3)

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(カナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんのブログ「penmachine」を紹介させていただいています。さぼっていたために間があいてしまいましたが今回は第3部です。フラッと立ち寄っていただき話が見えない方は1部2部からお願いいたします。)

思ったより癌が進行していたことにショックを受けながらも、少なくともステージ4ではないんだと自分を慰めるDerekさん。直腸下部にできた小さな癌は経肛門的内視鏡下小手術(TEM)で切除済みですが、S字結腸の腫瘍は手付かずです。

治療方針は、まず抗がん剤と放射線で残った腫瘍を小さくしてからメインの開腹手術を行う方向で決定しました。Derekさん(当時37歳)のように若い患者の場合は、治療が成功すれば長い人生が残っており、逆に言えば癌が再発可能な期間も長い。よって治療は極めて積極的に行うべき、というのが医師からの説明でした。抗がん剤は標準的なレジメンに加えて治験も3件参加することになり、Derekさん自身もやる気満々だったようです。術前のキモは、まずアバスチンを単剤で2週間、続けてアバスチン+Oxaliplatin(どちらも週1点滴)+Capecitabine(経口)の組み合わせで投与。これに平行して週5日の放射線治療を5週間続けます。Capecitabineは放射線を受ける数時間前に服用するよう指示されました。

化学治療を開始する前の心境は、治療効果への期待と早く治療を終わらせて普通の生活に戻りたいという希望が混ざり合っていたようです。

抗体(アバスチン)を2週間、キモと放射線を5週間、PET/CT検査に組織検査、5〜7週間休んで開腹手術、1ヶ月の回復期間のあと術後化学療法を4ヶ月。治験に入ろうが入るまいが治療が全て終わるのは年末だ。
(2007年3月22日投稿「All guns blazing」より)

この薬(アバスチン)と4月に始まる他の薬が(癌を)連打してくれるだろう。放射線で更に攻撃して、それから手術だ。バンバンバ〜ン!いい調子だ。
(2007年3月29日投稿「Daffodils and IVs」より)

極めて前向きに治療に取り組むDerekさんですが、不安な気持ちを吐露されることもありました。

バンクーバーにも春が来た。草木は伸び、今日は17℃、明日は22℃まで気温が上がるらしい。あと何回春を見ることができるのだろう。避けて通れない考えだ。医師は僕の治療をcurative(治癒を目指した治療)と呼んでいる。化学療法、放射線、治験中の新薬、手術が僕の身体から全ての癌細胞を取り除くということだ。

確かにそうあって欲しいと思う。医師団と僕はあらゆる手を尽くして癌を破壊し、取り除き、全滅させようとしている。でもそれが起きない可能性だって決して小さくはない。癌細胞が僕の体内に居残り増殖して、更なる治療を必要とするようになる。そして治療が効かなくなる可能性もある。現時点で僕が5年以内に死んでしまう確率はかなり高い。数ヶ月前には考えてもみなかったことだ。

今は自分が死ぬ気はしない。でも無視することもできない。だから春が来て花が咲き始めたりすると、もう少しよく見ていよう、写真も取っておこう、なんて思ったりする。

(2007年4月5日投稿「How many springs?」より)

さて、抗がん剤と放射線の平行治療による副作用の重さは想像に難くありません。Derekさんが最も苦労されたのは、お通じ絡みの副作用でした。

下痢、便秘、腹痛。便は硬すぎるか水みたいになるかどちらか。多すぎる、少なすぎる、早すぎる、遅すぎる、全く出ないか手に負えないほど出るか。ガスが溜まって詰まってしまうか、ゆるゆるでコントロールできなくなるか。
(2007年5月13日投稿「Adventures in toileting」より)

そんな辛い思いをされたにもかかわらず、CT検査の結果、直腸の癌は縮小どころか大きくなっていることがわかったのです。さらに肺にも転移が見つかり、診断はステージ4に変わってしまいました。

今や僕の目標は、2010年にバンクーバーで開催される冬季オリンピックを見ることになった… 疲れる一日だった。泣いたり、笑ったり、友達と一杯飲んだり、妻や子供や両親をハグしたり… でも僕は闘い続ける。これから起こるであろうことを認め、受け入れるのと否定することの間にはっきりした境界線はない。僕は生まれつき楽天的な奴だが、全てうまく行くかの如く装うことはできない。既にうまく行っていないのだから。
(2007年6月26日投稿「Dead man walking?」より)

期待された術前の化学療法と放射線療法の効果を得られぬまま、粛々と開腹手術へ向かうことになったDerekさんでした。

(次回に続く)
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2011年06月05日

坂道を転がるように(penmachineその2)

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(カナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんのブログ「penmachine」を紹介させていただいています。今回は第2部です。)

Derekさんはファミリードクターから癌であることを告げられました。ファミリードクターは強いて言うなら日本の内科に近い印象を受けますが、内科だけではなくちょっとした外傷や皮膚の疾患、目や耳の不調などでも最初はファミリードクターに診ていただくのがカナダやアメリカの医療システムです。実際にファミリードクターとどんな会話があったのかはわかりませんが、Derekさんは自分の癌は初期であると受け取られたようです。

僕は多分ステージゼロではないかと思う。だとしたら必要なのは内視鏡による手術だけかもしれない。それで癌を切除してもらったら治るのではないか…
(2007年1月8日投稿「Please excuse the salty language」より)

しかしそう簡単には行かないことが徐々にわかってきました。大腸内視鏡検査にCT検査、内視鏡超音波検査が次々と追加され、腫瘍の切除には開腹手術が必要であると判明したのです。

(追加の検査や開腹手術のことを)誰も前もって教えてくれなかったのがイラつく…治療は継続中。僕はまだ楽観的に捉えているが、ベストのシナリオで事が運ぶのをもはや期待しないようになってきた。
(2007年1月24日投稿「Still in the woods」より)

内視鏡検査によるとDerekさんの腫瘍は大きさが3〜4cm。切除手術は大掛かりになるので2ヶ月は休職が必要というのが医師の話でした。

今のところ状況は非常に悪くもないが良くもない…転移しているようには見えないが、腫瘍を切除して組織やリンパ節を検査してみないと確かなことはわからないらしい。腸のほかの部分には何もないし肝臓も大丈夫だ…術後に化学療法や放射線治療をするのか、再手術が必要になるかどうかは未定だ。春中旬までにはほぼ正常に戻って今年の夏を謳歌できることを期待、希望している…精神的に押しつぶされそうだが、それが僕の治療計画だ。というわけで、今日1月31日を僕の癌治療のゼロ日目と呼ぼう。
(2007年1月31日投稿「I’ll be calling this Day Zero」より)

ところが治療はなかなか始まりません。直腸にできた良性らしき小さな瘤をまず切除し、それを検査してからメインの開腹手術をする予定までは決まったものの、最初の手術の前に再度S字結腸鏡検査を受けるよう言われました。Derekさんは苛立ちを感じ始めます。

もう検査には疲れてきた。同じ検査を3回も4回も繰り返すと余計に疲れる。去年の11月下旬から面談やら検査やら何度もやってきて、その間も癌は大きくなっていって、なのに誰も直接癌に手を下していない。僕は癌を取って欲しいんだ。
(2007年2月6日投稿「I’m confused」より)

そして癌であることの重圧が耐え難い日もあったようです。

午前1時なのにまだ起きている。眠れない…今日は怒りっぽくイライラしていた。その後、子供達の前で泣いてしまった。娘達は泣きたい時には泣いてもいいことを分かっていて、泣いてもいいんだよと言ってくれたけれど、父親が癌になって泣く姿なんて見せるべきではなかった。でも僕は怖い。若くして死ぬのが怖い。僕は怖い。
(2007年2月7日投稿「Miracle cures, and being afraind」より

2007年2月20日、ようやく1回目の手術が行われました。経肛門的内視鏡下小手術(TEM)という手術による小瘤の切除です。この程度の手術は欧米では日帰りで行われます。Derekさんは朝8時に手術室に入り9時半には麻酔から覚め、午後3時半には無事帰宅しました。この小粒については恐らく良性であろうというのが医師の見立てでした。Derekさんもそのつもりで手術を受けたのですが…

2〜3週間前に切除した小さな瘤は結局癌だった。おまけに一緒に切除したリンパ節からも癌が見つかった。執刀医のDr. Brownは組織検査の結果にショックを受けたと言っていた…癌は直腸の下部と上部の2箇所でリンパ節にも転移している。とするとステージ3ということだろう。ステージ0、1、2であって欲しかったのに。(でも少なくともステージ4ではない。)
(2007年3月5日「Let’s reset that timeline again」より)

日に日に深刻度を増す病状にもかかわらず、Derekさんが前向きに考えようと努力されている様子が伝わってきます。

(次回に続く)
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2011年05月29日

晴天の霹靂(penmachineその1)

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前回の投稿でふれたカナダ、ブリティッシュコロンビア州のDerek K. Millerさんについて、これから何回かに分けて詳しく取り上げたいと思います。個人のブログで他の方のブログの記事を引用するのはルール違反なのかもしれませんが、内容の素晴らしさ及び原文が英語であることから、日本語で紹介させていただくことに意義があるのではと考えました。

Derekさんは2007年に37歳の若さで大腸がんと診断されました。ブログ(penmachine.com)は癌になるずっと前(2000年)から続けておられました。そのため、体調の変化に気づき、癌と診断され、癌が当初の見込みよりもずっと進行していたことがわかり…といった癌になった人の多くに共通する経験が実に正確に綴られているのです。

癌が発見されるまでの経緯は次の通りでした。

1. 2006年の春先からトイレに行く回数が増えガスも溜まりやすくなった。が、単なる下痢の症状と変わらず、食べあわせが悪かったか何かの細菌の仕業だろうと思った。
2. その状態は春から夏にかけて続き、時には作業を中断してトイレに駆け込むようなことも起きたがさほど気にしていなかった。
3. 秋には便に鮮紅色の血が混ざるようになった。これはマズイとファミリードクターのDr. Hassamに診てもらった。10月のことだった。(注:カナダやアメリカでは、まずファミリードクターと呼ばれる医療全般について広く浅く知識のある医師の診察を受け、ファミリードクターが必要と判断したら専門医に紹介される仕組みになっています。)
4.  Dr. Hassamは、こうした症状を起こす原因は沢山あり、重い病気とは限らないのであまり心配しなくてよいが、一応消化器科の医師に診てもらうよう勧めた。
5. 11月になっても症状の改善がみられないので再度Dr. Hassamに会いに行き地元の消化器科医Dr. Ennsへの紹介状を貰った。
6.  Dr. Ennsの診察は12月だった。Dr. Ennsは直腸炎ではないかと疑っていたが次の週に受けたS字結腸鏡検査でポリープが見つかった。
7. 1月初めにDr. Hassamと面談があり組織検査の結果を知らされた。癌だった。
8. 1月下旬、Dr. Ennsに大腸内視鏡検査とCT検査、内視鏡超音波検査をしてもらった。内視鏡超音波が付け加えられたのは、大腸内視鏡検査で、前に見つかったポリープの他にも小さな瘤が見つかったからだった。しかしその瘤は見た感じ癌ではなさそうだと言われた。

(2007年1月26日投稿「Why I’m getting cancer treatment now」より)

癌の告知から数週間後、Derekさんは少し落ち着いてから経過を振り返って上のように整理されました。

それ以前の投稿を読むと、いかに癌が青天の霹靂であったかがはっきりわかります。

診断は直腸炎。別に重い病気ではない。でも…検査を受けなきゃならないんだ…
(2006年12月18日投稿「The diagnosis」より)

直腸炎ではないそうだ。1月の下旬に大腸内視鏡でポリープを切除しなければならなくなった。調べてみたら大腸ポリープはよくある疾患みたいだ。60歳以上の人の60%はポリープができるらしい。僕のように40歳以下の人には多くないけどびっくりするほどのこともない…
(2006年12月21日投稿「Scoperrific」より)

大腸内視鏡検査を前に、明日は医師からポリープの組織検査の結果を聞くことになっている。統計的に(年齢的に)癌のリスクは小さいから楽観的に考えている。組織検査の結果に係わらず、ポリープは切除して大腸内をよく検査する必要はあるそうだ。同じ検査をした人に聞いてみたら、前日に下剤を飲むのが一番しんどいと言っていた…
(2007年1月7日投稿「In preparation for the colonoscopy I’ll be having…」より)

と、癌であるかどうか心配するより、S字結腸鏡や大腸内視鏡といった検査を受けるのが嫌だな〜という心境が伺われます。まだ癌になるには若い年代で、まさか癌になるだろうとは思っていない人にとっては検査の方が憂鬱なのです。その気持ちはよくわかります。

そして癌の告知をを受けたショックは以下の3行で表現されています。

Fuck.
Fucking hell.
I have fucking cancer.

(2007年1月8日「Please excuse the salty language」より)

しかし、この時点ではまだ医師もDerekさんも初期の癌であろうと楽観視していました。

(次回に続く)
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2009年05月10日

医者のキモチB

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『How Doctors Think』という本にはガン専門医の話もでてきます。その章のタイトルは”In Service of the Soul”(魂への奉仕)です。ガンの治療が、いかに技術面だけでは片付けられぬ、奥の深いものであるかを物語っているタイトルです。

ガン患者が納得した治療を受けられるか否かは、どんな医者とめぐり合うかにかかっている気がします。有名な専門病院に行けば、検査設備は充実しているし、臨床経験も豊富でしょう。だからといってそこの医者が一番良いとは限らないのです。また他の人の間で評判が良いからといって、自分にとっても良い医者であるとは限りません。医者と患者の相性は治療を続けていく上でとても重要だと、この本は指摘しています。積極的でアグレッシブな人は、強攻な治療をすすめるドクターと馬が合うでしょう。物静かで慎重なタイプの人は、リスクと効果のバランスをとりながら治療してくれるドクターの方が安心できます。もちろん本当に良い医者なら、自分とは価値観の異なる患者でも、その違いを考慮に入れながら、その人に一番合った治療方針を考えるてくれると思いますが。

例として、とても対照的な2人のガン専門医の話がでてきます。
1人は、有名なメモリアルスローンケタリング病院のナイマー医師。ドクターナイマーは失敗を恐れず、少しでも治癒の可能性があればそれを追求するタイプ。「病気の勢いが激しいほど治療も攻撃的になる」と言っては、副作用を恐れる患者を説得する積極派。だからといって、全ての患者に最もアグレッシブな治療を強いるわけではありません。

ある年配の白血病患者の方は、車椅子の奥様の世話をしたり、自分の趣味を楽しんだりすることを続けることを強く望んでいたため、入院を要する集中的な化学療法には乗り気でありませんでした。その意思を尊重しながらも、その患者さんのために何かしてあげたいと考えたドクターナイマーは、エビデンスは少ないものの外来で治療可能な抗がん剤を何種類か試し、病気の進行を9ヶ月間くいとめました。その9ヶ月間に、患者さんは家を売って奥様と養護ホームに引越し、やりたいことを全部やって心残りのない最後を迎えられたそうです。

多くの場合、ガン治療に答えは一つではありません。どんな治療を選択するか、「そのチョイスは患者さんの人生観と調和しなくてはなりません」とドクターナイマーは言っています。

この本で紹介されているもう1人の医師はドクターテプラー。個人の開業医として活躍するドクターテプラーは、血液腫瘍と普通の腫瘍、両方の専門家です。ドクターテプラーのクリニックに来る患者さんの多くは、ガンが非常に進行した状態です。「患者さんが無益な治療で苦しまないようにしてあげることは、自分にできる最も重要なことの一つではないかと思うことがあります。」と話すドクターテプラー。根治することのできない癌を、上手にコントロールして長く共存していけるような治療を得意としています。

それでは満足できず、もっとアグレッシブな治療を受けたくて他の医師のところへ走る患者さんもいるそうです。そのアグレッシブな治療が失敗して、ボロボロになって戻ってくる患者さんを暖かく迎え入れることもよくあります。

ドクターテプラーとドクターナイマーは気質もアプローチも対照的ですが、共通点が一つあります。お二人とも最後の最後まで患者を見捨てないということです。

ドクターテプラーが癌という病気を専門に選んだ理由は、病気の難しさ故に、特別な深い人間関係を患者との間に築くことができるからでした。長年病気と闘ってきた患者さんに、ある時点でもうどんな抗がん剤も効かなくなり、それ以上化学治療を続けても意味がなくなる日が来ます。そんな時ドクターテプラーは、最後まで支え続ける、残った時間を快適に過ごせるよう出来る限りのことをする、と約束するのだそうです。

ドクターナイマーは癌を治療する術がつきてしまったからといって、治療をやめるわけではない、と考えています。事実、終末医療は癌治療の中でも最も難しい分野なのです。緩和ケアや痛み止めを施しながらも、家族や友人と話が出来なくなるほど意識が朦朧としないよう、微妙なバランスを取らなければなりません。精神面でも、真実をゆがめることなく伝えながら、なおかつ患者さんの心が安らぐようサポートする、というのは口で言うほど簡単なことではないでしょう。

スクリーニングや治療法がすすみ、ガンになっても完治する人は沢山います。でもそうでない人もいるのです。そういう病気だからこそ医学知識や治療技術だけでは不十分なのです。患者を疾患としてでなく、心と魂を備えた人間全体として捉える優しさと懐の深さが、ガン専門医には求められるように思います。
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2009年05月06日

医者のキモチA

『How Doctors Think』という本の中で、特に興味深かった、というかある意味で怖くなったのは
”The Eye of the Beholder”という章です。見る者によって見えるものが違うという話です。

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日本でもそうなのかもしれませんが、カナダでCT、MRIなどの検査を受けると必ず検査結果のレポートがついてきます。検査自体をするのは放射線技師の人、結果を分析してレポートを書くのは放射線医です。こうした仕事をしている放射線医の方と実際に顔を合わせる機会はめったにありませんが、この人達の観察力、洞察力が患者の将来に及ぼす影響は多大です。そしてこの人達とて間違うことはあるのです…それも結構な確率で。

まず初めに強調しておきたいのは、検査結果にエラーがあるというのは放射線医にヤブが多いからというのではなく、分析しなければならない情報の多さと時間の少なさに大きく関係しています。昔はレントゲンを3-4枚とってそれを分析すれば済んでいたのが、現在用いられているCTやMRIでは1回の検査で何百の画像があがってくるのです。1枚1枚丹念に見ていたら、1日に何人の患者の検査ができるでしょうか?次から次へと何百もの画像をすばやく見て、それでも微妙な違い、わずかな異常を発見しなければならないのです。

検査の誤差やエラーを測定するテストや研究も、あちこちで行われているようです。エラーには、同じ画像を何人もの医者が見て異なる診断をする場合と、一人の医者が同じ画像を時間をへだてて複数回見て(同じ画像とは知らされずに)違う診断をする場合があるそうです。

ミシガン州立大学で行ったテストでは、100人以上の放射線医を対象に60枚の胸部レントゲンを見せ、その内の1枚は鎖骨の無い患者の画像でした。参加者に、レントゲンは定期健診の為という前情報を与えると、なんと58%が鎖骨が無いことに気づきませんでした。レントゲンは癌の検査だと前情報を変えると、異常に気づく人の数が増えましたが、それでも17%は鎖骨の無い1枚の画像を見逃してしまったそうです。

もっと怖いのは、このテストで確度の高いトップ20の放射線医(95%は正確に診断した)とボトム20(75%しか正確に診断しなかった)を比べると、ボトム20の人の方が自分の診断に自信を持っていることがわかりました。

さらに画像を見る医師の気質によっても傾向が分かれました。思い切りの良いタイプの人は偽陽性(正常なのに異常と診断する)のエラーを犯し、慎重なタイプは偽陰性(異常なのに正常と診断する)のエラーが多かったそうです。この結果は私にとってちょっと意外だったのですが、要するに後者は、病気であると断定するのに慎重になってしまうということなのでしょう。

また参加者内で共通項として浮かび上がったのは、医師が一つの画像をあまり長く見すぎると(38秒以上)そこに無いものが見えてきてしまう、ということです。じっくり見れば良いというものではないのですね。言われてみるとなんとなくわかりますが、考えてもみませんでした。

別のテストで、110人の放射線医に148人のマンモグラフィーのスクリーニングをさせたところ、乳がんの有無が正しく診断された確率は、医師によって個人差があり、73から97%だったそうです。マンモグラフィーの診断は特に難しい面があります。癌を見逃したら大変なことになります。早期であれば根治可能なのに、発見できずに転移してしまったら予後が悪くなってしまいます。その反面、健康な女性に癌かもしれないと告げたら、再検査や組織検査がすむまで、もしかしたらその後もずっと、その人は「もし癌だったら…」という不安に苛まれることになるのです。マンモグラフィーがらみの誤診の訴訟もアメリカではよくあること。癌を見逃して訴えられたことのある放射線医は、その後、良性のように見えても組織検査をさせることが多くなるそうです。

どうしたら検査エラーを少なくできるのでしょうか?長年画像の診断をしてきた放射線医は、見た瞬間正常かどうかの直感が働くそうです。もちろん直感だけには頼らず、系統的なチェックリストに沿って精度を高める努力もされています。分析する画像数が多くなりすぎぬよう、十分な数の医師を保っておくことも大切です。無作為にケースを選んで、同僚同志で診断を比べたりすることも頻繁に行われているようです。

また検査を依頼する様々な専門医と放射線医とのコミュニケーションの仕方も違いを生みます。検査する患者の病歴をまるで伝えないのは、放射線医の手を後ろで縛るようなものですが、あまりにも検査目的を絞りすぎると、他の重要な疾患を見逃す要因になります。また、検査を依頼する側は常にはっきりした答えを期待しがちなのですが、実際には検査をしても白黒つけがたいこともあるのです。

患者の側はどう対応すれば良いのでしょうか?この本では、まず検査の精度には限度があり、エラーやバイアスが入ることもある、という現実をよく頭に入れて、必要とあらばセカンドオピニオンを求めるようすすめています。

ミシガン州立大学のテストを含め画像診断に関する生データ、論文は下記の文献で読めるそうです。
Journal of the American College of Radiology
Volume 3, Issue 6, Special Issue: Image Perception (June 2006)
ウエブサイトはこれです。
(レジスターは無料で誰でもできますが、記事を読むにはお金を取られます。)
posted by leo at 15:33| Comment(4) | 本やブログなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月04日

医者のキモチ@

数日間しおらしく少食にしていた反動で今日は食欲全開。スコーンに野菜に大きなサーモンの切り身に… 食べ過ぎて苦しいほど食べてしまいました。あ〜だから太っちゃうのね… 自重せねば。

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最近読んだ本がこれです。

how doctors think.jpg

作者のジェローム・グループマンは血液腫瘍学を専門とするお医者様で、ハーバード大学医学部の教授でもあります。

ドクターの視点で医療現場の裏側を説明している本なのですが、内容は堅苦しくなく、人の生死を分けるような判断を短い時間で下さなければならない医師の胸のうち、思考プロセスなどがわかりやすく綴られています。

面白かったので、いくつかのチャプターを紹介しようと思います。

今日は”Lessons from the Heart”−『心』から学ぶこと、とでも訳すのでしょうか。
医師といえども人間、感情にまったく左右されないことは不可能で、それゆえに間違いがおきることもあるという話です。

まず、先入観というのは医師の判断にも大いに影響を及ぼします。
例えばいかにも不健康な人(大酒のみ、ヘビースモーカー、超肥満)に身体の不調があらわれた場合、疾患がその生活習慣に由来している、と疑う医師が多いようです。実際そうである確立は高いのでしょうが、本当の原因は別にあることもあります。先入観にしばられているあまり、それを見逃したり、発見に時間がかかったりすることも少なくないそうです。一方その危険性をわかっているドクターが、意識的に先入観を退け、他の可能性を考慮し追加のテストをしているうちに、思いもかけなかった病気が浮かび上がることもあります。こういうことがあると、『名診断』として病院内の話の種になるというのですが、患者の側からすると「何でいつもそうしてくれないの?」とちょっと悲しくなります。

また、これは私の経験でもそうなのですが、各症状を起こす一番典型的な疾患をまず考え、その線で治療して、それが効かなかったら次の策を練るような医者もよくいます。特に漠然とした症状が慢性的に続くような場合は、通り一遍の検査の後に「心配することはない」とか「精神的なもの」、と体よく追い払われてしまうこともあります。そういう患者さんの話を親身に聞き、ありがちな診断で片付けず、普通以上によくよく調べて、真の病因を探り当ててくれるのが名ドクターなのですが、そういう方にはなかなかめぐり合えませんね。

逆に、健康そのものに見え普通の検査でも異常が発見されない場合、実は深刻な疾患が進行中なのに、それを見逃されてしまうこともあるそうです。あまり健康そうに見えるがゆえに、まさか恐ろしい病が隠れているとは医者も疑わなかったということでしょう。

また、主治医と患者というビジネスライクの関係を超え、お互い人間として好感を持ち合うようになった場合にも、それがマイナスとして働くことがあり得るのだそうです。例えば、好感を持っている患者を、負担の大きい検査や治療にさらしたくない、と医師が感じて躊躇してしまうからです。そしてその結果、患者の重病の発見が遅れたり、命の危機にさらされたりするケースもあるそうです。

冷たい態度の医者が好きな患者というのはいないと思います。でも優しいドクターと仲良くなって、あまり自分に気をつかいすぎてもらうようになったら、それもまた要注意なのかもしれません。本当に難しいですね。
posted by leo at 15:13| Comment(2) | 本やブログなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月09日

病気が象徴するものA

スーザン・ソンタグ(Susan Sontag)のイルネス・アズ・メタファー(Illness as Metaphor)という本で、とても奥の深い癌の考察がされているので、もう少し紹介しておこうと思います。

日本語でもある程度そうなのかもしれませんが、英語では特に、癌という病気を語るときに戦闘的な言葉が使用されます。
例をあげると:
がん細胞は侵略的(invasive)
原発の部位から体内に広がって他の臓器を植民地化(colonize)
身体の防御(defense)システムは癌に対して苦戦
強敵と戦うための治療は
−過激な(radical)手術(地上戦)
−放射線による爆撃(bombard)(空中戦)
−抗がん剤で癌を殺す(kill)(化学兵器)

こうした言葉が無意識に選択されている裏には、癌という病気が単なる病気ではなく、社会の敵(enemy)、悪(evil)の象徴として捉えられていることがある、とソンタグは考えています。

また癌のイメージには何かSF風なところもあります。
例:
癌は知能をもたぬ(non-intelligent)心を持たぬ(mindless)原始的な(primitive)侵入者
この異邦(alien)細胞の増殖で蝕まれた患者の身体は、もはや自分自身ではない(non-self)
他の何か(Other)へと変貌していく…
映画でいうと:
ボディ・スナッチャー(Invasion of Body Snatchers)
宇宙からの不明物体(The Blob)
遊星からの物体X(The Thing)

body snatchers.jpg

こうなってくると、もはや癌は宇宙からの侵略者。お腹に寄生するエイリアンです。
(このイメージが当たってるように思うのは私だけでしょうか。)

戦闘用語やSF的イメージの氾濫は、癌という病気に、医学的にまだ解明されていない部分が多いことに起因しているようです。原因がはっきりわからず、現在の治療法では完全に治しきれないケースがあるからこそ、「奇跡の治癒」を売り物にする業者が現れたり、環境汚染のせいだ、文明病だと言って、それで全て説明しようとする人が後を立たないのです。

(言うまでもなく癌は古代から存在していました。昔は、癌になる前に他の病気や怪我で死ぬ人が多かったから目立たなかっただけです。)



posted by leo at 17:56| Comment(2) | 本やブログなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月08日

病気が象徴するもの@

tree2.jpg

イルネス・アズ・メタファー(Illness as Metaphor)という本があります。
初めて読んだのは14-5年前のことだと思います。とても面白かったという記憶があったので最近また読み直しました。

この本のテーマは病気の医学的な説明ではなく、病気が与える社会的イメージについてで、主に文学作品から例をとって分析しています。特に焦点となっているのが結核と癌です。

結核は抗生物質が普及するまで不治の病気と言われていました。癌は今でも死に至る病だと思われています。怖い病気であるがゆえに様々なイメージ付けをされ、特定の気質と結び付けられたり、社会問題の象徴として用いられたりすることが多い、というのです。

この本の作者スーザン・ソンタグによると、結核も癌も個人の病気で、19世紀以降社会の近代化がすすみ、人間の「個人」としての存在が大きくなるにつれて、関心も増したようです。それ以前は人間は「民衆」という集合体で、ペストやコレラなどの伝染病に地域ぐるみで襲われやすかったのです。(結核は感染しますが隔離は個人単位です。)そして、そうした共通項はあるものの、結核と癌の持つ一般的なイメージが大きく違うことを指摘しています。

結核は、実際にはとても辛い病気だと思いますが、小説、テレビ、映画などの世界では何故か美化されることが多いのです。一方癌は、美化されることが殆どないばかりか、悲惨さを強調されてばかりいます。

イメージだけで言うと、結核患者は繊細でアンニュイ。癌患者は細かいことに悩み落ち込みやすい、と似て非なる性格なのです。結核の治療と言うと、人は高原のサナトリウムを思い浮かべるのに、癌の治療というと手術、放射線、抗がん剤、とロマンの欠片もありません。

言われてみると確かに、時代劇などで、お姫様がゴホンゴホンと咳をして、ほんの少しだけ血を吐いたりしているシーンはよくあります。美しいお姫様の薄幸さを際立たせています。でもお姫様が胸にしこりを発見したり、下腹部の張りに苦しんだり、という話は見たことがありません。お姫様が癌じゃ何かいけないのですか、と聞きたくなります。

続きはまた明日。
posted by leo at 19:13| Comment(0) | 本やブログなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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